極私的偏愛映画⑯ 『ロボコップ(1987)』 全部好きだけど、やっぱりダントツで『1』が好き。1㌦で楽しむべ〜〜

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「警官殺しだ。」

 

……このアングル格好良すぎ。

 

 

ネットをふらふらと巡回していたら、格闘ゲーム『モータル・コンバット11』にてロボコップがゲストキャラとして参戦とかいうニュースを目にして、いざ映像を観てみたら、「オートナインが3点バーストじゃねぇ」とか若干の不満を漏らしつつ、それでも『ターミネーターVSロボコップ』を最新グラフィックで見れるからいいやと。

 

コロナ自粛期間を良い事に『1』〜『3』+TVシリーズまで一気に観返してしまった。

 

無職、最高だぜ。

 

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個人的には『1』がやっぱり一番好きなのだが、『1』のヴァーホーベンに代わって『2』のメガホンをとったアーヴィン・カーシュナーロボコップケイン」への異様なほどの執着っぷりフィル・ティペットストップモーションによるVFX、バカバカしい描写と気持ち良いまでに善人とクズしかいない世界線など、『1』ほどのシリアスさや奥深さはないものの、これでもしゃぶれとばかりのメリケン流ショーマンシップに平伏するばかり。きちんとスタッフの意気込みと温かみを感じる映画になっているので好きです。

 

うって変わってコメディ路線に拍車がかかってしまい、時勢も相まった謎ジャパニーズ要素が堪能出来る『3』も、10回くらいループ再生したら好きになりました。

 

今更30年前の古典的名作について説明するまでもないのですが、

やっぱり『1』の冴え渡る演出時間を忘れてしまうくらいリズミカルに進むテンポの良さ行き過ぎた暴力描写秀逸なデザインやVFXと、どれもがほぼ満点レベルで統一されているという、かなり希有な映画だと観る度に再認識します。

 

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VHSは当時12,000もした。

 字幕スーパーのVHSがどういう経緯か忘れましたが家にあったので、かれこれ通算100回は見たんじゃないでしょうか。お気に入りのシーンはよく巻き戻すので、該当のシーンに近づくと画面上にノイズが走りまくる。

 

セックス!ドラッグ!暴力!暴力!暴力!

あまりの良さに語彙力を失う。

 

 

こちらは2014年に発掘された当時のスチール写真50枚。

mattmulcahey.wordpress.com

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現場で存分に指揮を振るうヴァーホーベン監督。いかにも”監督”って感じのスチールで好きだ。

◎キャストについて

 

まず主人公のピーター・ウェラー演じるアレックス・マーフィーが好きなんですよね。

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80年代はマッチョ型ヒーローがもてはやされた時代でありましたが、痩せ型で精悍な印象のウェラーは、ちょっとヒルでアブナイ男っぽさも感じさせながら、限りなく善人でヒーローという不思議な説得力があって、いまだに憧れる男性ランキングで上位の俳優です。

 

同じような理由で、”どうあがいてもヒーロー”枠としてトリート・ウィリアムズを憧れる男ランキングで筆頭に挙げるのですが、

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『サ・グリード』のフィネガン。巨大ペニス&ヴァギナ VSトリートの戦いを、君はもう見たか。

こちらが陽性のヒーローだとしたら、ウェラーはその中間ですね。どうでもいいですが。

 

脇を固める俳優陣もまた良くて、悪漢にして最高のヒール、クラレンス率いる一味の気持ちいいまでの外道っぷりも芝居と感じさせないくらい、真に迫るものがありますね。

 

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風邪で急遽お休みだったマーフィー君みたいになってますがご愛嬌

クラレンス一味はテレビ朝日放送版のジョー(右2番目の黒人)役が石丸博也バージョンが一番”ヒャッハー”感があって良き。

 

彼らの劇中でのその後の扱いに関しても、血も涙もねぇ悪党に、同情はいらねぇんだよという強い思いを感じます。やはり暴力こそ正義。

 

◎『1』はかなりの低予算(とはいえ日本円で14億とのこと)で作られた。

 

背景としては、当時はオランダ出身でハリウッドではまだ無名状態だったヴァーホーベンがメガホンを握るということと、ストーリープロットを読んだオライオンの幹部に一笑に伏されたとの事だったが、1984 年公開の『ターミネーター』1作目の大ヒットを受け、制作にGOサインが出て、最終的には1300万㌦の予算を獲得したのだそう。

 

詳しくは、「一日一回はロボコップを観る」と豪語する、ロボコップ研究の第一人者、ジャンクハンター吉田氏の記事をご覧あれ。

cinemore.jp

(撮影第2班監督に『コマンドー』の編集マンが抜擢されていたのは知らなかった。目からウロコ。)

 

低予算という冠の付く映画には、それに伴うスタッフの創意工夫により、チープながらもそれがかえって味になったり、安っぽさを感じさせない映画的な体験の付与に貢献したりする。

 

ロボコップ』の場合は、兎に角、演出のメリハリの良さを挙げたい。

最も好きなシーンとして、ロボコップの初出勤となるシーンを挙げたいのだが、

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緊張と緩和。”ロボット警察官”という馬鹿げたアイデアを、いかに魅力的に魅せるかという点において、これほど模範的な演出は無いと思う。

 

驚きのあまりそれまでの怒りを忘れてしまい、おもわず全員が食い入るように磨りガラス越しにうっすらと見える異形を見つめてしまうリアクションのカット。

いわゆる”観客の代理”であるモブの演技にこそ、主役を引き立てる醍醐味がある。

 

その場の空気を一気に支配した事を示すように、徐々に署内の騒音がフェードアウトし、ロボの足音とシンセの低音のみに塗りつぶされていく。音響効果の賜物である。

捕われる側の犯罪者と、捉える側の警察官が同一線上に並んでしまう、という一体感もユーモアたっぷりで面白い。

 

その後、職務そっちのけでロボを一目見ようと留置所に駆けつける警官達を、手持ちカメラによるドキュメンタリーさながらのブレブレ撮影が追う。

駆けつけた先でも、金網越しでまだはっきりとしたした状態でロボを捉えられない。

きちんとした固定での撮影でない分、ひとつ〃の動作がリアルに感じられる最高のシーンの一つだ。

 

これの手前で開発途中のマーフィー視点のシーンがあるが、言ってしまえばカメラに向かって話しかけているだけなのに、不思議と色々な感情が渦巻く。

オムニ社の職員も、必ずしも悪人ばかりという訳でもなく、こと自社のプロダクトに関しては真摯に取り組んでいるようなのだが、得てして残酷なシーンにも捉えられる。

 

マーフィー殉職の直接的な原因というのは、「ロボコップ計画」実現のために他州から優秀な警官をサンプルの為にデトロイトに集結させていたことに起因するので、実質モートンが諸悪の根源であるのですが、結果として、複雑に糸が絡み合い、

悪を根絶するべく”ロボコップ”が爆誕してしまうというのはなんとも皮肉。

 

そもそも、警察組織を民間の軍事企業が買収しているという超絶ブラックな設定に加えて、特需にあやかる為に都市計画を立案し、そのために旧市街地のならず者を排除してしまいたいから、意のままに操れる警官ロボットを作ろうという発想自体が狂っているのですが、昨今の情勢を見ていると、あながちフィクションにも思えなくてゾッとしますね。時代先取りしすぎ。

 

だからこそ、『ロボコップ』はどのシリーズも立ち返って、より直接的なコミュニティでの”人と人との絆を大事にしよう”というテーゼに寄り添うところが教義的で良いところなのですが。

 

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一瞬だけ映るモニターに初めてロボの姿が映る、ニクい演出。

マーフィーが絶命してしまう病院のシーンも、基本的には顔半分を捉えているだけなのだが、その分、マーフィーの受けた仕打ちの惨さが伝わってくるし、なにより人間が死んでいく過程を観させられているようで、子供のころはこのシーンの方がトラウマ的に怖くてよく飛ばし見ていた。

 

ちなみに、ERの治療にあたっている医師達は役者ではなく、実際の病院のスタッフに頼み込んで、「同じ負傷を負った患者が運び込まれて来たら、どのような治療をするのか」を正確に再現してもらったそうだ。マジで凄い。

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◎鋼鉄のキリスト

ロボコップは一度死んで蘇ったから、”鋼鉄のキリスト”である、という意図のもと、

実際のシーンでも水の上を歩いてみせたキリストになぞらえて、水面ギリギリで板を敷いて、水の上の歩いているように見えるよう撮影されたシーンがありますが、

 

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個人的に「エモいなぁ」となるのは、救出後のアン=ルイスとの工場跡地でのシーン。

 

銃撃で照準装置がエラーを起こしているといって、ルイスの補助のもと、ターゲットサイトの照準を調整するマーフィー。

 

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標的である、「子供の顔がプリントされたベビーフード」を一つ一つ破壊していくのですが、これは監督曰く、「これからルイスとどんなに親しくなっても、もう二人の間に子供は作れない」というメタファーなのだそう。悲しいなぁ。

 

こういったメタ的な視点を取り入れた恩恵で、『1』は娯楽作品である以上に、実存に悩まされつつも、徐々に自らのアイデンティティを取り戻していく一人の男の物語として、より深みのある領域に達していると思います。

 

◎秀逸なデザイン

 

個人的に好きなのは真横とバックショット。特に大腿二頭筋から上半身にかけての流線美と言ったら。

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30年経ってなお、未だに見飽きる事が無い、秀逸なデザインですね。

 

口元だけが丸出しなのをよくネタにされますが、ゆえに感情を少ないパーツで表現するために、口元の芝居にこだわったとされるピーター・ウェラー独特の口元表現の多彩さは、今観ると目を見張る物があります。

元々おちょぼ口ではない俳優ですが、マスク着用時には口の中に詰め物をするなど、マスクオフ時との印象の差を付けたとのこと。プロや…

 

(画像は『3』なので、ピーター・ウェラーではありませんが)

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後発で制作された『ロボコップ』シリーズでは都合3人の役者にバトンタッチが行われていますが、

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やはり『2』までのピーター・ウェラーのロボ動きは格別と言った具合で、

カクカクしすぎてもヒロイズムとはかけ離れすぎてしまうし、スムーズすぎてもコスプレ化してしまう中で、(そもそも10kgの衣装なので動き自体制限されてしまうというのはありますが)

非人間的な動きでヒロイズムを体現したのは偉業だと思います。

1989年版『バットマン』の首が動かない故の異形感にやはり並ぶエポックですね。

 

最近はやたらとスムーズに動いてしまうものばかりで、こういう生身で真似したくなるキャラクターは少ないと思います。

 

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30年近く"ロボコップ動き"を研究していますが、これがいざやってみるとなかなか難しく、

海外の達者なコスプレイヤーさんを見ていても、動きだけ今ひとつなクオリティで歯噛みします。

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(何度か繰り返してみたところ、怒りMAXだと「口元をすぼめる」というアプローチをしている事が分かりました)

 

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害をまき散らす悪漢に対して、巨大なシルエットとなり近づいていくロボ。漫画的で素晴らしいカット。

 

ひとつ〃の要素をきっちり見せてくヴァーホーベンの手腕が冴え渡りますね。

 

ここ最近は、昔一度観たきりだった映画の再度鑑賞のチャンスに費やしたりしていますが、改めて『ロボコップ』は骨太な映画だなぁと思いつつ、4Kリマスターの上映がまた行われるなら、是非誰かを連れ立って観に行きたいなぁと思える、そんな爽快な作品だと改めて感じました。

 

今作のキャッチーな「ゴアさ」を推す意見には概ね賛同するのですが、僕が『1』を観返す大きな要因とは、観賞後の「儚さ」にも似た余韻とでも言うのでしょうか。

基本的には悲しいストーリーなんですよね。

 

圧倒的な暴力の前に曝され、無情にも肉体や家庭、精神すらも取り上げられてしまった男が、無敵の体を与えられ、もう一度生きるチャンスを得るが、自分が何者なのか分からないまま”人”と”物”の狭間で揺らめく。

彼にとっては、沸き上がる感情もおおよそ”心”と呼べるものなのか、その正体も定かでない。全ての記憶を取り戻し、復讐の鬼と化して幾度の殺戮を経た先に、ようやく自らの名前を取り戻す。

 

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今作はシンプル、かつ力強いビジュアルとストーリーで観客にこう訴えかけます。

 

”人は誰かの所有物ではないし、所有物であってはならない”

 

 

個人的には、「生涯、死ぬまでに一度は観るべき映画」として、男女問わずに今作を強く推し続けていきたいと思います。