【間接的なネタバレを含みます】『#キャンディマン(1992)』”恐怖のかぎ爪男伝説”が象徴するブラック・シカゴの貧困とヘイトクライム

 

f:id:shin_tayo:20211012032940j:plain『ゲット・アウト』で一躍”人種系ホラー”ジャンルの騎手として熱狂的な支持を集めたジョーダン・ピールが製作/脚本を務めたリメイク版『キャンディマン』の公開に備えて、せっかくなので過去作である1992年オリジナル版の『キャンディマン』を観返すことにした。

恥ずかしながらこのシリーズに対しては不勉強も甚だしく、続編も含めて計3作が製作されているけど、ぼんやり記憶に残っているのは第1作しかなかった。

というのも、現在の視聴環境では字幕つき第1作目がAmazonでレンタル視聴できるのみで続編の『2』と『3』はVHS時代に出回ったソフトが中古で買える程度。(辛うじて海外盤でDVDの存在は確認できた)当時レンタルVHSで観た気がするが、どうにも内容が定かでないしファンの間でも傑作と名高い『1』を除けば海外レビューでは「鑑賞に値しない」という叩きぶり。

じゃあ…ということで とりあえず第一作めをレンタルしてみたのだが、観終わって即時「これはジョーダン・ピールがリメイクするわけだ…」となんだか妙に納得してしまったわけである。

 

【以下、リメイク版『キャンディマン』のネタバレに抵触する恐れあり】

キャンディマン (字幕版)

キャンディマン (字幕版)

  • ヴァージニア・マドセン
Amazon

(字幕がめちゃくちゃ適当なのはご愛敬の配信版)

キャンディマンのおぞましい蜂に覆われたビジュアルに起因する大量の蜂の群れ(本物)を役者自身の顔に這わせたり、あまつさえ口の中に蜂を頬張ったままヒロインとの強制キスさえ敢行する90年代の映画ならではの体当たりな特殊効果と撮影には頭が下がる思いがする。特に大便器にぎっしりと詰まった蜂の群れにはCGにでは到底味わえない圧倒的なおぞましさを感じた。

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さて、今作のタイトルロールとなっている”キャンディマン”とは何ぞやという話で、早い話が『ヘルレイザー』などで著名な作家クライヴ・バーカーが著作『Books of Blood』内に収録された『禁じられた場所』で登場させた都市伝説的な殺人鬼を指している。

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映画では端正な顔立ちにロングコート。右腕の代わりに巨大なフックが刺さっているという、同じくバーカー原作の『ヘルレイザー』の派手さの1/3くらいのインパクトを伴ったビジュアルで登場する。(ただし脱ぐとスゴイ)

個人的には語りによって人間の精神にズカズカと付け入ってくる感じから同じ生みの親を持つ『ヘルレイザー』のピンヘッドに近い印象を感じた。

元祖キャンディマンを演じたのは俳優のトニー・トッド。

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『ファイナル・デスティネーション』シリーズでよく出てくるのでお馴染みの俳優でもある。

(タイトルの「キャンディマン」は「飴売り」、転じて「甘い言葉で惑わせる色男」や「麻薬の売人」を意味するスラングとのこと)

本名こそ定かでないが、劇中ではどうやら奴隷の息子として1800年代頃に生を受け、その後は裕福な白人の肖像画を手がける有名な画家として成長するも、白人家庭の娘と恋に落ち子供までもうけてしまったがために激高した娘の父親から暴漢を仕向けられて集団リンチされてしまった過去が語られる。

画家としては命ともいうべき右腕を切り落とされた挙句、全身に蜂の巣を塗りつけられ集まった大量の蜂に刺されて命を落とす。亡骸は藪の山で火葬され、遺灰は物語の舞台となるイリノイ州シカゴのカブリ―二・グリーンにまかれたという設定になっている。

(バーカーの小説内では著者の近況に伴い、場所の設定はリバプールとされていた)

このカブリ―二・グリーンという土地柄とキャンディマンの出自に由来する有色人種に対する”ヘイトクライム”というワードを含む強烈なオリジンは今作でかなり大きな要素となっている。(後述)

まず、『キャンディマン』における都市伝説の内容としては、”鏡の前で5回その名前を唱える”ことを原則としている。唱えた人間の元にはキャンディマンが現れ右手のかぎ爪で股間から頭まで真っ二つに引き裂いてしまうという。

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これは明らかにアメリカ版”こっくりさん”ともいえる”ブラッディメアリー”を原型としていて、かなり古くから存在する怪談のうちの一つ。彼女も同じく鏡の前で名前を3回唱えることで血まみれの装束の装いで現れるとされていて、その正体は非業の死を遂げた女性説、子殺しの母親など様々で、要は若者遊びの肝試しの類の話のようなもの。

 

今作及びリメイクでも共通しているカブリ―二・グリーンという重要な場所について少しだけ触れておくと、

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かつては理想的な公営住宅街のモデルケースとして開発が進められていた土地で、始まりは第二次大戦真っ最中の1940年代に退役した軍人だったり戦争産業を支える労働者を住まわせるためのプロジェクトとして発足したものの、戦後の1950年に差し掛かるにつれ慢性的な失業率に伴う低所得労働者の入居率が増加し、その後は手ごろな価格の住宅を求めて南部から北部へ移住してきた何千人というアフリカ系の住民の爆発的な増加によって街自体が”ブラック・シカゴ”と呼ばれるまでに至ってしまう。

有給の職へのアクセスが容易でない環境では、犯罪に手を染める若者も多く、ギャングの台頭や麻薬取引の横行、プロジェクト自体の不備や経営の怠慢などがたたって、あっという間に全米でも指折りのスラム化してしまった背景を持つ。

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理想の公営住宅として成り立つはずだったカブリ―二・グリーン構想は脆くも崩れ去り2011年には最後の建物が取り壊されてしまったが、劇中でのカブリ―二・グリーンという土地は何十年にもわたってブラックシカゴで生きる善良な人々を悩ませてきた貧困そのものや無秩序な暴力、有色人種に対する警察の無関心といった麻薬よりも恐ろしい日常の現実そのものを象徴する場所、もしくはドス黒い気配をため込んだ場所として描かれている。

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劇中、主人公であるヘレンが取材と称してカブリ―二・グリーンの住宅を訪れ、浴室にあるキャビネット向こうに開いた穴から隣家に侵入してみせるが、その入り口自体が”巨大なキャンディマンの壁画の口だった”と分かるというシーンがあるが、これは1987年4月にシカゴのアパートで起きた、当時52歳のルーシー・メイ・マッコイ殺害事件が元ネタとされていて、

当時の報道によると、彼女が住んでいた浴室のキャビネットの裏側にアパートのそれぞれの部屋につながる配管に沿った2.5フィート(約76センチ)幅ほどの空間があり、元々は配管工がメンテンスをしやすくするためのものだったそうだが、その通路を通った強盗がアンの浴室に侵入し、蜂合わせた彼女に銃弾を数発に渡って撃ち込み殺害してしまったのだという。この事件は地元メディアのみならず、ブラックシカゴの惨状を現す事件として大々的に報じられた。

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chicagoreader.com

 

それを裏付けるように、この映画にはアン・マリー・マッコイとルーシー・ジーンという上記のルーシー・メイ・マッコイを想起させるような名前の人物が登場するし、スタッフ的にもかなり意図的にこの事件を取り入れた痕跡が見られる。

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また、キャンディマンのオリジンとしてもモデルがいるとされている。

写真の左側の人物はジャック・ジョンソン。

1900年代前半から中盤にかけて活躍した世界初の黒人の元ボクシング世界ヘビー級王者で、その隣の女性はジョンソンの妻であり、名はエッタ・デュリエイ。2人は当時としては異例の有色人種と白人女性のカップルだった。二人の関係は当時、異人種でましてや黒人であるジョンソンとの結婚などもってのほかと、世界的にも物議をかもしたことで知られていて、元・奴隷の敬虔なメソジストの家庭に生まれたジョンソンの生い立ちは、キャンディマン自身の出自ともリンクしている。

(ジョンソンについては直近で2018年にトランプ大統領が不道徳な目的で白人女性を州を越えて移動させた罪(通称”マン法”)として1913年に有罪となっていたジョンソンに対し、そのボクサーとしての功績を称え、数十年を経た恩赦を与えたことでも話題になった)

この、”黒人と白人の男女”というモチーフは、ヘレン自身がキャンディマンの恋人の生まれ変わりであるという点と、ラストにおけるヘレンがキャンディマンのプロデュースのもと、まんまと都市伝説の存在そのものになってしまうという物語構造に反映されており、ホラー映画の黒人が主演という異例すぎる作品の登場に当時13歳だったピール少年は「この映画は自分のための映画だと感じた」とインタビューで語っていたそう。そうした意味では幼心なりに今作にブラックスプロイテーション映画の匂いを感じ取ったのかもしれない。

 

ヘレン自身は低所得で働く黒人の女性清掃員に対しても、差別感情など抜きに気軽に握手を交わすことのできるリベラルな女性として描写されるが、キャンディマンという存在を一度は否定しまったが故に付け狙われることになり、最後にはとある英雄的行為によってカブリ―二・グリーンの住民たちからの信頼を勝ち得るまでに至るものの、その皮膚は醜く焼けただれ、精神は永遠に伝説の一部として囚われることになってしまうわけだ。(”ミイラ取りがミイラになってしまう”というお話の構造はクライブ・バーカー作品のいくつかでみられる傾向)

(それでも平然と年下生徒と浮気をするようなクズ夫に天罰を下す鬼嫁という視点で見れば、それはそれで四谷怪談の”お岩さん”的な怖さもあるがどうだろう)

主観だが、結婚して間もないジョンソンとエッタを収めた写真があり、その写真に写っている姿はロングコートが特徴的な”キャンディマン”そのもの。

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どこまで当時のスタッフが”キャンディマン”という幽鬼を描くにあたって現実にそのモデルを求めたかは定かでないが、こうした土壌や歴史的なバックボーン、数多くの隠喩を用いてこの作品に得体の知れないリアリティを与えようとしていただろうことは確か。改めて見返してみればみるほど、なるほど”異人種間における格差やヘイト”によって巻き起こるホラーを一貫して描いてきたジョーダン・ピールにとって、これほどうってつけの題材はないだろうと感じた。

前述の通り、計2本も続編が作られるに至ったものの、当時のホラー作品としては3本というのはかなり少ない部類に感じる。スタッフの意気込みに反して、結局シリーズとしては急速に低迷して、今やホラー映画好きの間でタイトルは聞いたことがあってもなかなか顧みられることの少ない作品となってしまった。

 

理由としてまずその他ホラ―アイコンの花形たちと比較した際のビジュアル面の弱さというものが挙げられるかもしれないし、そのバックボーン故なかなか話の広がりや続編を作るにあたっての映画的なパターン化を生み出せなかった等、理由は色々あるかもしれない。いずれにしても、今作はアメリカという巨大な移民国家の根深い因縁やそこに渦巻く文化史を静かに感じる稀有な仕上がりになっていたと思う。

なおのこと、BLACK LIVES MATTER に代表される人種差別問題が日々センセーショナルな出来事として取り上げられることの多くなったこの現代で、その表現の最前線をひた走るジョーダン・ピールが今作をどうアップデートして脚色するのか楽しみだし、また”キャンディマン”という複雑なオリジンを抱えるキャラクターが”世にも恐ろしい都市伝説”というアイコンとしてホラー映画界に返り咲くことが出来るのかどうか、目が離せないままでいる。

 

映画『キャンディマン』は2021年10月15日全国東宝系にてロードショー。

監督は『ザ・マーベルズ』のメガホンを握る人物としても注目が集まっている初のアフリカ系女性監督のニア・ダコタ。

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