『TITANE/チタン』※ネタバレあり感想 「原子番号22の女」 #ぶっちゃけ映画感想

f:id:shin_tayo:20220403052010j:plain

 

「久々にヘンテコな映画を観たな」初見時の率直な感想。

トンチキな描写の連続だが、作品自体は歪なようで恐ろしいほど理路整然としている。こういう映画をもっと観たい。

gaga.ne.jp

youtu.be

まず冒頭からぶっ飛んでいる。

交通事故の影響で頭にプレートを埋め込むことになった少女が手術の直接の原因となった自動車に熱い接吻をし、成熟した女性になってからはダンサーとして車のボンネットの上で官能的なダンスを繰り広げたかと思えば、いつの間にか車とセックスして車の子を妊娠するに至る。

 

一方で彼女に好意を寄せ近寄る人間は男も女も問わず彼女の手にかかってひとり、またひとりと命を落としていく。殺害の動機はよく分からないが、まるで自分以外の人間を拒否するかのようでもある。自宅では親子で視線すら交わそうとせず、あまつさえ燃え盛る火の手に包まれた自宅に両親を閉じ込めてしまう。完全に常軌を逸している。

 

全体的なトーンとしては上記サイトでの「完全解説」ページでも触れられているとおり、デヴィット・クローネンバーグの影響下にあるのは見て取れた(それにマグダラのマリアやギリシャ神話のディテールが少々…?)

 

それまでコントロール下にあった肉体の乖離やだんだんと制御を失い変容する過程を描くのは共通しながらも、根幹に”他者への慈しみ”を感じる不思議なテイストの映画だった。

 

今回が初主演という主役のアガト・ルセルアレクシアとアドリアンという異なる性別を行き来する展開と相まった変容っぷりが凄まじく、完全にスクリーンを喰っていた。凄まじい逸材を見つけてきたなぁ……

 

登場人物の規模感や展開は非常にミニマルな枠に収まっているものの、女性にまつわるフェミニズムに関する物語、男性が”男”でいるためのホモソーシャルな物語…描かれているテーマは複雑極まりない。どれひとつとっても現在進行形で議論が繰り返されているが、未だに僕らが解消しきれずに日々のモヤモヤとして抱えるものばかり。

 

「機械の子供を身ごもった」

 

話としては奇天烈なストーリィにも関わらず、不思議とストンと理解が及んでしまうのは、登場人物の思考だったり感情がすごく腑に落ちる範囲でごく丁寧に演出出来ているからだろう。重箱の隅まで演出が行き届いている。

ヴィンセントを取り巻く隊員がアレクシアをどう見ているかとか、これまで息子同然に可愛がってきたであろう部下のライアンヌが、アレクシアの登場によって一心に注がれてきた愛情をはく奪され、徐々に不信感と敵対心を募らせていく様子だったりがすごく分かりやすいが故にその後、山火事でライアンヌが命を落として亡霊としてアレクシアの前に現れる現象も飲み込みやすい。

 

息子を失った空白を埋めることで正気を保っていた父親だったが、アレクシアの豊満な乳房と大きく膨らんだお腹を見てなお「お前は俺の息子だ」と言い切ったあたりから、その他多くの映画と一線を画す性質を帯びてきたなと確信した。

ともすれば、ヴィンセントとアレクシアの間に肉体的な交流(物理的なセックスに当たる行為)があってもおかしくはない、男女の一触即発な状況はエロティックだが同時に不快でもある。ヴィンセントがアレクシアの接吻に「NO!」と言い切ったおかげで、この映画に対する信用がより強固なものになった。

 

アレクシアがアドリアンを演じる際、体にサラシを巻き付け自らの”女性的な部分”をひた隠し、消防隊というタフで屈強な男社会に馴染む為に全身を痛めつけるシーンは昨今の極端化するフェミニズムの比喩だろうか。対極的に「私は神だ」と自称する父親ヴィンセントの有する”男らしさ”の脆弱さと不安定さに思わず苦笑しつつも、哀れみとも恐れとも取れる演出になっているのが印象的だった。

 

ついクィアネスな表現に偏って、性意識や社会のありようについて語りがちな昨今、今作があくまでも”クィア””シスヘテロ”、双方の視点に立って性別を超えた”受容”と”慈しみ”について語られていることに注目すべきと声を大にして言いたい。

 

性的な旗印を掲げずとも、誰かを受け入れることは出来るし命を繋いでいくことができるんだと、苦しむアレクシアから後ずさりするも、一瞬考えたのちに出産に立ち会うヴィンセントの姿にそんなことを考えたりもした。実に懐の深い映画だった。

もっとこういう作品を観たい。