映画『ジョーカー』に感じた違和感と道化師が象徴するもの

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前回、観たばかりの『ジョーカー』 に関してのあれやこれを書き連ねたものの、

イマイチ、自分の中で自らから出た言葉、 感想が正しかったのかよく分からず、

 

なんだかモヤモヤとした霧立つ思いを抱えながらも、 今作を消化出来ないまま

公開から、早2週間が過ぎてしまった。

 

SNS問わず、各界から絶賛の声が寄せられてはいるが、

果たして僕にとって今作は何だったのか、 極私的に接してみようと試みた。

 

 結果的に言って、僕にとっての今作『ジョーカー』 の評価としては、

”傑作になれなかった良作”といった印象なのだ。

 

いかにもなマスターピース感、としては多少の中傷評価はあるものの、 やはり『ダークナイト』におけるヒース・ レジャー版のジョーカーの方が圧倒的な悪としてのカリスマ感を放っているし 、

毎年ハロウィンやコミコンの時期になるとヒース・ ジョーカーに扮してその仕草や喋り方、スタイルに至るまで、 真似をするものが多く出現する理由も頷ける。

 

要するに、ヒース・ ジョーカーの誇示したヴィランとしての存在感というのは、

”純粋悪”そのもので、劇中の言葉を借りるなら、「 世界が燃え上がるのを見て楽しむ連中」、 まさに悪魔のそれなのだ。

 

IDも持たず、顔の傷の由来も明かされない。ともすれば、 それは誰もがジョーカーに成り切るに足る、”余白” そのもの。

 

金に突き動かされるわけでもなく、誰かの指図も受けない。

揺るぎないロックな精神を持ってして、周囲を欺いてみせる” 誰でもない何者か”というヴィラン像は、 出自も動機も明確な富裕層にして高潔な精神の持ち主であるバット マン=ブルース・ウェインとの両極の存在となっており、 よく出来たキャラクターの相関図ではないかとただ感心するばかり だ。

 

 

今作の『ジョーカー』について、様々な評価が飛び交っている。

 

それは、今作が観る観客によって、 方向を変える性質を帯びているからだと、

鑑賞して間を置いた今でこそ、率直に感じることなのだ。

 

今作の感想として大きく分類すると、 アメコミ実写化としての完成度を褒め称える意見。アーサー= ジョーカーとしての物語として受け入れ、 作品の破滅的な部分に共感を示す意見。または、 娯楽作や映画という切り口で、 ただホアキンの演技力を賞賛する意見など、様々だ。

 

正直なところ、僕はこの作品を大いに楽しんだ反面、 やや物足りなさを感じてしまった。

 

今作が「全てジョーカーの妄想やジョークであった説」 という意見もいくつか見たし、

劇中に何度か登場し、最終的にアーサーに手を貸し、 ブルースの両親を殺害に至った犯人こそ、のちの”ジョーカー” なのではないか、という意見もあり、

なるほどそれは面白いとは思ったのだが、イマイチ乗れなかった。

 

貧困の中から生まれた怪物が富裕層を脅かすという構図や、まさにデモに沸き立つ香港や2008年から続く世界的な恐慌など、

本作が背負って立つ命題は多く、けれど

今作で今ひとつ太鼓判を押せなかったポイントとして、 設定やキャラクター造形ではなく、 その描き方や演出にあると考えた。

 

重要なポイントとなるのは、やはりアーサー・ フレックという、潜在的な暴力衝動を抱えた人物そのもの。というよりも、” 潜在的な暴力衝動を抱えている”だけなのだ。

お世辞にも、その振る舞いは知的とは言い難いし、 その奇抜でスタイリッシュなスタイルとは裏腹に、 どうにも他人を欺く知性や、 底抜けの悪意といったヴィランとしての輝きにかける。 要は憧れる対象ではないのだ。

 

物語終盤、(妄想かどうかは置いておいて) 憧れだったテレビ司会者のショーに招かれるが、案の定、 自分を茶化されることを承知で単身乗り込んでいくわけだが、

この一連のシーンでは、すでにアーサーは”ジョーカー” として覚醒しており、

ひどく他人への影響というものにたいして更に無頓着になったイメ ージだが、

件のショーに出演する以前から、観客や司会者、 同席したゲストに至るまで、

最後までアーサーが懐から銃を取り出し、ロバート・ デニーロの眉間に一発お見舞いしてもなお、 それら全ての優位に立ったようには見えなかった。

 

親に図星を突かれて駄々をコネ出す子供のようでもあり、 病的にも見えるが、

あくまでも”心の均衡を欠いた男”であって、”悪党” とは一線を画す存在のように思えたのだ。

 

おそらく、ジャック・ニコルソンやヒース・ レジャーのジョーカーならこうはならなかったと思う。

 

別段、それが悪いといっているのではなく、 歴代のジョーカーというのは、

おおよそが悪趣味なジョークや暴力で持って、 他者のマウントを取ることを生きがいとしているわけなのだから、 今作のジョーカーはそうした意味でも奇異である。

悪い意味で、ジョーカーとなる以前と以後で明確な差を感じなく、

何より、自らにジョークのセンスが全くない、 ということを自覚していない

というところが逆に狂気じみていて良いのだ。

 

個人的にこういうカットや演出があれば、 もっと盛り上がったろうと感じた部分は、

やはり、主人公がどういう人物であれ、 その変化を劇中の第三者のリアクションで見せて欲しい、 というところである。

 

もちろん、それに当たる展開はあった。

ピエロ仲間が家を訪れ、自分をハメた同僚に手を掛けるシーンだ。

”ジョーカー”に至るシーンには違いないのだが、やはり、 今作での最も印象的な、

「階段を踊り降りるシーン」の前後の文脈として捉えると、 やや弱い。

 

概ね、 今作では象徴的なシーンでのオーディエンスは文字通り観客に委ね るかのごとく、 アーサーが1人の瞬間を観客である僕らのみが知る”事実” として描かれていることが多い印象だ。

 

(だからこそ、今作がジョーカーの虚言説が濃厚になるわけだが)

 

例えば、スピルバーグなら、 登場人物の目の前で驚くべき出来事が起きている瞬間があれば、 必ずといっていいほど、その場にいた人物の顔(リアクション) を捉える。

 

そうしないと、その出来事がいかに大変なことなのか、 演出意図として伝わらないと危惧しているからこその演出テクニッ クなのだが、今作ではほぼないと言っていい。

というより、意図的にやっていないとも思える。

 

ゆえに、客観性のない、 極めて主観的な印象の羅列とならざるを得ないのだ。

 

おそらくそれらも含めて、製作陣の意図するところなのだろう。

いわゆるスピ演出の与える印象は、映画にとって「 100点の回答」になってしまうからだ。

登場人物が驚いていれば、やはり観客は「そうなんだ」と言って、 画面上で起きていることを製作者の思惑に則って受容しなければ、 ならないし、

そういう映画に、今作『ジョーカー』 をしたくなかったのだと感じた。

 

 

前回、感想記事を欠いた折、それを読んだ知人から、

主観性がないと言われたが、それもそのはずで、 今作は観客のメンタルや

”身の置き所”によって、多種多様に感想が変わる、 不定形の映画だからだと感じたからだ。

 

ただし、僕が今作で一番、 スクリーンの中に自分の居場所を感じたのは、

それまで肩をすくめて登っていた階段を、 全てを忘れるように階段で上機嫌にタバコをふかしながら、 踊り降りるシーンなのだ。

 

だが、しかし、それは果たしてジョーカー”だから” できることなのか?

という疑問符も浮かび上がる。

フットルース』のケビン・ベーコンとどう違うかと聞かれれば、

答えに詰まるが、つまりそういうことなのだ。

 

アメコミ映画である期待はしていなかったが、 残虐なピカレスクロマンを期待して劇場に足を運んだ身としては、 もう少しジョーカーと化してからの活躍を大いに楽しみたかったというのが、現状での本音だ。

 

それでも、ショットの美しさや、ホアキンの病んだ魅力。タバコの紫煙漂う排他的なNYの風景には惹かれるものがあり、

繰り返し観たい何かに溢れた良作には違いない。

 

余談ではあるが、トランプのジョーカーだけが何故特別なのか、という理由を調べた折、

王様を始めとする貴族や騎士の集まりの最中、唯一、身分を超えて王を茶化す権利を持ったのが道化師であり、ジョーカーなのだという。

 

感想『ジョーカー』理屈なんてないよ。だって狂ってるからね。

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人生のとある節目に出会う映画は、時に良くも悪くも、その後の人生に重大な影響を及ぼすことがある。

 

今作のモチーフとなった『タクシー・ドライバー』などはまさにそういった類の”劇薬”指定の映画で、

精神疾患を抱えた1人の男が、社会や異性との接点を失った果てに暴走し、やがて出会った「娼婦の少女を救う」という大義名文を得て、ギャングの巣窟に単身乗り込み、ギャング共を次々と私刑にしていくわけだが、

主演のロバート・デニーロのまさしく狂気に肉薄したビジュアルと演技、雨に濡れたNYの夜景をバックに妖しく輝くイエローキャブという映像美も合間って、一種の狂気への憧れと共感を抱かせる、危険な出来栄えであった。

 

今作、『ジョーカー』もはたして、多感な10代の頃に出会っていたなら、

恐らく今作の持つ妖しさにあてられて、夜な夜な顔を白に塗ったくり、クネクネとリボルバーを握りしめて、鏡の前で踊っていたかもしれない。

(以下、ネタバレあり)

 

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※ネタバレ有り※ 感想『トイ・ストーリー4』複雑を極めた現代で、完璧に理論武装された秀作。〜ゆえに僕はまた観たいとは思えないのだ〜

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公開から1週間ほど経っていますが、初日に観ていました。国内では賛否が分かれているようですね。

なんとなく理由も察せますが、それはのちほど。

 

 

本業が忙しくなりすぎて、観れる本数がグンと減ってしまい、

「まずは話題作から観ておくか」と、ミニシアター系の作品をなかなかカバー出来ない日々が続いています。

 

いままでは、なるべく画像や動画をたくさん盛り込んだ記事を心がけていましたが、どうしても一つの記事を書ききるまでに時間がかかってしまうので、以降はテキスト中心に、なるべく摂取したものを整理して消化しつつ、書いていけたらと思います。

「こんな意見もあるのね」くらいのライトさで読んで頂けたら。

 

それではやっていきましょう。

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感想『ザ・フォーリナー/復讐者』秒で悪党をボコる!虚無の表情のジャッキーがノー笑顔で繰り出す痛恨の一作。

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なんでか知りませんがね。今作が本国アメリカで公開されたのが2017年10月13日。

 

かれこれ、2年近くこっち(日本)は待たされたっつー、ね。

 

どういうこっちゃーねん、オオッ!?

 

ジャッキー映画が即観れないという憂き目に遭いながらも、どうにか鑑賞。

 

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【使いこなせ】『iiAFX』映画あるあるコンピレーションをまとめたYoutubeチャンネルが超実用的

 

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今回は完全な雑記です。


最近、頻繁にYoutubeをみるのですが、流石ネット社会といわんばかりに、

TVで扱われないようなニッチな趣味やコンセプトを取り扱ったチャンネルが増え、

普通にTVを観るよりもウィットに跳んだ内容を楽しめる世の中になってきました。

 

そんな中でも、少々の変わり種として異彩を放ちつつ、物作りの際のサブとして、非常に役に立ちそうなチャンネルを見つけたのでご紹介。

 

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平成最後の総決算 『ザ・バニシング -消失-』『ヘンリー -ある連続殺人鬼の記録-』戦慄のダブル殺人鬼映画特集_IN_シネマート新宿

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もうすぐ年号が変わります。

新年号は”スーパーコンボ”だそうですね。

個人的には割と、どうでもいいですが。

 

●GWで沸き立つ巷は『アベンジャーズ エンドゲーム』の話題で持ちきりで、かくいう私も、10年近く付き合ったMCUの集大成の前にただ語彙を失うばかりで、出来の良し悪しはともかく「足繁く劇場に通う日々」に一つの終わりが訪れたことにただ寂しさを感じるばかり。

 

ともあれ本題です。この華のGWに何をと思われるかもしれませんが、

新宿のシネマートにて、『ザ・バニシング -消失-』上映公開記念と称し、『ヘンリー -ある連続殺人鬼の記録-』とのダブル上映という恐ろしい特集がやっていたので、つい足を運んでしまいました。

 

なので今回は特別編。二人のシリアルキラーを描いた悪夢のスーパーコンボ的な2作品をぶっ続けで鑑賞したせいで、死と血流の大晦日となりました。

 

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感想『シャザム!』ハイエンドに構築された老若男女対応型、ポッポコーンムービー

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だいぶ久々の更新になってしまいました。

 

職場が変わって、土日がある程度休みが取れるようになった反面、

グダグダとデスクワークに取り組むことができなくなり、

なかなか観た映画を文体化できずに仕事に忙殺される日々を送っております。

 

憎っくき(?)福田雄一監督の日本語吹き替え監修で話題になりつつも、

DC映画に爽やかな風を送り込んでくれるのではと、公開前からジワジワと期待値を上げていた、『シャザム!』

 

早速観に行ってきましたよ、ということで、やっていきましょう。

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