極私的偏愛映画⑨『ロッキー(ROCKY)』◆~スライと私と逆転無罪~◆

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今回の『ロッキー』は、極私的と言うにはあまりにも有名でファン層も厚い。

 

名作・駄作もありながら、いまなお新作が製作されている懐の深~い作品である為、今更紹介するのもなぁと気が引けていたが、

 

世間のスタローン学論の微妙なズレ”単純な筋肉バカの元・アクションスター”ではないことを改めて証明したいという思惑もあり、

なにより筆者の人生の中ではどうしようもなく思い入れの深い作品なので、いずれ取り上げざるを得なくなるとは思っていたのだ。

 

 

 

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 1.シルベスター・スタローンという”男のリトマス試験紙

 

『ロッキー』という数多の作品を生み出したこのシリーズを語るには、

先だって”シルベスター・スタローン”という人物について触れなけれならない。

 なぜならば、ロッキー・バルボア”というキャラクターはスタローン(以下、愛称である”スライ”)が当時、自らの人生を投影した人物であり、ロッキーの足跡を辿ることはスライの人生に肉薄することと同義であるからである。

 

スライの人生に迫るため、以下の書籍を大いに参考にさせて頂いた。

筆者がスタローン研究にのめり込んだ際に、最も役に立った志向の三冊である。

 

炎の男スタローン―アメリカン・ヒーロー・ナウ (講談社X文庫) 

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シルベスター・スタローン物語 (バンブー・コミックス)

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〈映画の見方〉がわかる本 ブレードランナーの未来世紀 (新潮文庫) 

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スライが誕生したのは1946年7月6日。本名シルベスター・ガーデンツィオ・スタローン。イタリア系理容師の父フランク・スタローンと妻でありフランス系ダンサーのジャクリーンとの間に産まれた。

出生はアメリカ合衆国ニューヨーク州マンハッタン区

”地獄の台所(ヘルズ・キッチン)”と呼ばれ、ギャング同士の血で血を洗う抗争を続けた結果、当時”アメリカで最も治安の悪い地区”とされた地域だ。

 

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最早スライの持ち味と化した、右側に歪んだ口元、ろれつの悪さは、鉗子分娩時に取上げた医師が誤って顔面の神経を傷つけてしまったことが原因とされている。

 

従って区内でのいじめに遭う事も多く、生まれつきのやんちゃぶりに加え素行の悪い少年時代を送っていたとされている。

愛称となった”スライ”に関しては諸説あり、「Sylvester(シルベスター)」の頭三文字からきた説と、そのやんちゃぶりを称してイタリア語で「ずるい奴」を表す愛称が与えられたという説だ。

 

両親の不仲をきっかけに、弟のフランクJr.とも生き別れることになり、新天地フィラデルフィアでスライの素行はますます悪化の一途を辿る。やがて暴力沙汰を繰り返すようになり、14もの学校から放校処分を下されることになる。

ケンカに明け暮れる日々を送っていたスタローンであったが、それ以上にのめりこんでいたのが”映画”であった。

 

「”浪打場”みたいな名画の良さは当時の俺に分かるわけなくてよォ。正直寝ちまったい。でも、”ヘラクレス”には燃えたな。スティーブ・リーブスにシビれたよ」

(佐々木いさおの声で)

 

この頃が、のちに大アクションスターとなるスライの基盤となる”肉体改造””映画”というふたつのファクターが歴史的邂逅を果たす、スライ年鑑的に重要な時期となる。

 

やがて18歳となったスライは体育奨学金を元手にスイスのアメリカン・カレッジに入学。素行の悪さは相変わらずだが、むやみに暴力を振るう事は少なくなり、

変わりにアルバイトと読書の時間が増え、この頃には生意気にもヘミングウェイを嗜むようになる。

 

文学と体育の成績だけが右肩上がりで上昇を迎える頃、当時カレッジで活気のあった演繹部に所属したことにより、徐々にその頭角を現してゆく。

21歳の頃に出演したアーサー・ミラーの「セールスマンの死」における息子・ビフ役は自他共に認める出来栄えで、確かな手応えを感じたスライは演劇部の顧問にかけあい、

急遽、母国アメリカのマイアミ大学への転入を希望し、受理される。

 

しかし、エンターテインメントの本場たるマイアミでは、スライの才能はごまんと転がる「その他大勢」の中へ埋没してしまっていた。

好転を図ったスライは母であるジャクリーンにニューヨークで役者を目指すことを告げるが、当時占星術に凝っていたジャクリーンはスライの未来をホロスコープで占ってあげることに。

最初の7年間は俳優として苦労するが、最後には脚本家として大成する」ことを予見する。

演じること以上に、文学に対する関心を強めていたスライは、この眉唾ものの予見を一旦信じてみることにして、単身ニューヨークへ渡り、ボロ宿に寝泊りしながらひたすら戯曲を読み、脚本を書き殴る日々を送る。

 

しかしながら無名のスライの脚本など読む者はおらず、一時ホームレス生活に追いやられることに。この際に1本/200ドルの出演料だったポルノ映画に出演することになる。

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『ロッキー』のヒット後に話題となった今作は、原題を変え、

ザ・イタリアン・スタローン(イタリアの種馬)』として発売され、話題を呼んだ。

 

この頃「タダで映画が観れる」と働いていた劇場のモギり嬢のサーシャと出会い、

スライの猛烈なアタックによって見事サーシャの心を射止めたとされている。

サーシャは大人しく淑やかな女性であったらしく、スライがどのようにアプローチしたのかは『ロッキー』のエイドリアンとの馴れ初めを観ることで察することが出来るかもしれない。

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同棲生活をスタートした頃、スライのドラマ用シナリオ、1日/6本分という怒涛の執筆活動が実を結び、『タッチ・オブ・デビル』というTVドラマにシナリオが採用されると、徐々にだが脚本の仕事が増え始める。

この頃、ウディ・アレン監督作品『バナナ』で脇役ではあるが出演し、役者としての仕事も続けていた。中でも『ブルックリンの青春』はぶっきらぼうな不良グループのボスを演じ、初めてちゃんとした台詞もクレジットもある記念碑的作品となった。

 

 

 2.ありったけの青春をブチ込んだ、『ロッキー』という最強の自主映画の誕生

 

さて、いよいよ『ロッキー』である。

有名な話であるが、今作には元ネタがある。というよりも、スタローンという無名の脚本家が『ロッキー』を執筆する原動力とした出来事である。

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当時世界ヘビー級チャンピオンであったモハメド・アリ対チャック・ウェプナー戦がそれである。スライがこの試合中継をシアターで観た経験が、『ロッキー』誕生の直接的なきっかけとされている。

 

昼は清掃業、夜は警備員のバイトと、全くの無名選手であったウェップに対し、アリはベトナム徴兵を拒否しライセンスを剥奪されたばかりで久々の復帰戦であったとはいえ、明らかにウェップを”かませ犬”としてマッチングされたこの試合は、誰の目から見ても勝敗は既に見えていたようなものであった。

ところが、おおかたの予想を裏切りウェップは善戦。

第9ラウンドでは遂にアリからダウンを奪い、試合は第15ラウンドにまでもつれこみながらも、アリは遂に35歳の無名ボクサーをノックアウトすることが出来なかった。

 

アリが約7ヶ月のブランクがあったことなど、当時の事を分析する格闘評論家は多いが、ひときわこの試合で感銘を受けたのは他ならなぬスタローン自身であった。

周囲の評価も、勝ち負けすら関係ない。ただ立ち上がり続けた場末の老ボクサーに、

雷を喰らったような衝撃に襲われた、と当時を振り返り語っている。

 

試合中継の帰り道でも感動が薄れることなく、スタローンは自宅に戻るなり、直ぐに執筆作業に取り掛かった。

作業は昼夜を問わず続行され、妻のサーシャもその身を案じるほどであったという。

 

3日以上の徹夜作業を経て、タイプでの清書作業を行っていたサーシャの手にスライから一冊のシナリオの初稿が手渡される。

 

本の表紙には簡潔に『Rocky(ロッキー)』と書かれていた。

 

後日、映画プロデューサーのジーン・カークウッドの意見も取り入れられた『ロッキー』のシナリオはユナイテッド・アーティスツに持ち込まれ、約2,250万円での買取額を提示されたのである。

だが、スライの顔色は冴えなかった。買取額の驚きに加え、社が提案してきたのは配役の人選をポール・ニューマンロバート・レッドフォードアル・パチーノ…で考えているという。

当時の売れっ子俳優の名前を次から対へと挙げられ、混乱するスライは決断を保留とするが、最終的には「ロッキーが自らが演じるべきである」という信念に基づき、

社が提示した金額を突っぱね、主演の座を手に入れることとなる。

その際の出演料は組合の定める最低金額の約200万円となった。

 

『ロッキー』のストーリーはとりわけ振り返る必要もないのだが、あえて振り返っていこう。

 

30歳を迎え、全盛期をとうに超えた場末のボクサー、ロッキー・バルボア

ボクシングに明け暮れ、友人も飼っている亀と金魚くらいで、勿論彼女もいない。

ジムのコーチであるミッキーからは冷たく接される日々が続き、高利貸しの集金屋をしているせいで益々ミッキーとの折り合いは10年来から更に悪くなる一方。

唯一の楽しみといえば、想いを寄せる、ペットショップの店員エイドリアンにとっておきの冗談をかまして笑ってもらうことだけ。

さもしくもしがない日常が淡々と流れていく。

 

そんなロッキーに晴天の霹靂。現ヘビー級チャンピオンであるアポロ・クリードがプロモーションの一環として、日の当たらないボクサーを選出し、対して対戦カードを組む思惑を廻らせる。

ロッキーの”イタリアの種馬”という肩書きに引かれ、ロッキーを対戦相手として指名するアポロ。

 

一世一代の晴れ舞台を前に、徐々に闘志を燃やしてゆくロッキーであったが、

 徐々にエイドリアンとの距離を縮め、念願かなって恋人同士となる。

 

アポロとの対戦が徐々に近づくにつれ、周囲の反応が徐々に変わり、ロッキーに冷たく接していたミッキーはロッキーのセコンドを買って出る。

昔話を聞かせるミッキーは、恐らく次の世代に何かを残したいという気持ちはあったのだろうが、お互いに頑なすぎた故に取り返しがつかなくなってしまっているのだ。

ミッキーの豹変したような態度に戸惑い、思わずミッキーを追い出してしまうロッキー。

 

「手のひら返したようにペコペコしやがって!俺は自分ひとりでやってみせらぁ!俺に協力したいってんなら、俺と一緒にこの豚小屋に引っ越して住んでみろよ!10年も馬鹿にした男と!」

 

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筆者が今作で最も好きなシーン。

去るミッキーを走って追いかけるロッキー。とっさに抵抗のそぶりを見せるミッキー。

暴力に訴えるのかと思いきやミッキーの肩を抱き、共に数歩、歩いたところで、ふたりは握手を交わし、まるで友人のように共に手を振り去ってゆく。

おそらくロッキーが先ほどの非礼を詫び、アポロに勝つためにはミッキーの助力が必要だと説得していたのだろう。

屈折した女々しさ心地よい潔さを併せ持つロッキーの人間性が際立つ名シーンだ。

また、徐々にロッキーに触発されフィラデルフィアの人々との間に絆が芽生え、ひとつの目標に向かって、互いの清濁を受け入れあう過程がワンカットで表現した素晴らしいシーンである。

 

カット自体は引き画のため、二人が何を話しているのかは分からない。

筆者にはささきいさおの声で「よぅ、さっきは悪かったよ。謝るよ。やっぱりよ、考えてみたんだが、あんたの力が必要なんだよ。なぁ、考え直してくれねぇか?」

と言っている様に聞こえてくるようだ。

ビル・コンティのピアノスケッチも見事で、シーンを情緒的に盛り上げている。

ただ、分かる事は『ロッキー3』でミッキーが逝くまで二人は良きパートナーであり続けたという事だ。

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有名なトレーニングシーンのモンタージュだが、実はこれには段階がある。

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ミッキーとの和解を経た後、すぐさま朝4時に起きて生卵を5つ割り、胃に流し込み、

早朝の走りこみへと出かけていく。

後半のトレーニングシーンに比べこちらのシーンは全く印象が異なる。

先述のビル・コンティのスコアに合わせ、フィラディラルフィアの街中を駆けるロッキーだが、そこに活力はない。

かの有名な”ロッキー・ステップ”と呼ばれる長階段を上りきる頃には、わき腹を押さえてヘコヘコと階段を下りていく。

30歳を迎え体力の限界という”現実”にぶち当たる弱々しい男の姿がそこにはある。

だからこそ、階段を余裕綽々で駆け上るロッキーの姿に感動するのだろう。

階段とは段の積み重ねであり、平坦なところから高みへと移動するための手段である

ロッキーは様々な人々の支えを糧に、アポロという強敵に立ち向かうのである。

 

筆者が今作で次いで好きなシーンがある。

ロッキーがアポロとの試合を前夜に控え、たまらず先んじてリングに立ち、

思いつめた様子で自宅に戻り、エイドリアンに正直な胸の内を打ち明ける。

 

開口一番「駄目だ」とロッキーは呟く。

 

とても勝てない。帰り道に考えたんだが、奴と俺とでは違いすぎる

どうするの?

わからねぇな…わからなねぇ

あれだけ猛練習したのに…

 

いいさ、もともとクズさ。何にもねぇ男なんだ。そう思えばよ、気が楽だよ。負けて当たり前だ。例え脳天を割られたって平気だ。最後まで持ちゃ、それでいい。15ラウンド戦って、それでもまだ立っていられたら…ただそれだけで俺は満足だよ。ゴロツキじゃないってことを証明できる

 

物語の終盤に差し掛かって、主人公であるロッキーが自己批判をするんですね。

恐らく、エイドリアンに語りかけているようで、話しながらも自分自身に言いきかせているように見えます。

それも最早どうでもいいこと。これこそがスライがアリ対ウェプナー戦に見た、”ただ倒れずに戦い続ける”行為の「気高さ」なのですから。

 

アリ対ウェプナーよろしく、ロッキーとアポロの激しい攻防は第15ラウンドを迎え、既に双方共に満身創痍。無情にも会場をゴングが包み、すかさず試合を報じる記者がロッキーに駆け寄るも意に介さないロッキー。ただエイドリアンの名を叫ぶのみ。

彼にとって、ボクサー人生はここで終わり、あとにはただ愛する恋人だけが残った、ということでしょう。

 

応えるようにロッキーに駆け寄るエイドリアン。(この際に脱げる帽子には釣り糸が仕込まれており、わざと観客に揉まれ脱げるよう細工が施してあったといいいます。

恐らくですが、身を包むものが無くなり、まっさらな状態でロッキーと向き合わせるための演出でしょう。だとすれば見事です。)

 

会場はアポロ・クリードの勝利を告げますが、ロッキーにとっては最早どうでもいいこと。エイドリアンと強く抱き合うところで、今作は幕を閉じる。

 

余談ですが、エンディングにはもうひとつ候補があり、かつ撮影まで済ませていました。それはポスターにも描かれている、エイドリアンと手を繋いで、ひっそりと試合場の廊下から去る、というもの。

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途中まで採用されかかったこのエンディングを変更したのは、他ならないスライその人だった。

(脚本段段階で更に当時流行であったアメリカン・ニューシネマを模したエンディングも想定されたが、妻サーシャの猛反対により、ハッピーエンド路線で進められたと聞く)

 

スライは妻サーシャの助言に従い、『ロッキー』をハッピーエンドにすることを決め、「ロッキーにとって最も幸福な瞬間とはどこか」を模索した結果、

二人が固い抱擁を交わす最中、一時停止したような状態での幕引きを選択したのだった。

 

長文となったが、筆者が定期的にでも『ロッキー』を観てしまうのは、決して今作が熱いスポーツ映画だからでも、ただ単にスタローンが好きだから、という訳ではない。

まず単純に『ロッキー』アガる映画であること以上に、1作目だけが持つ思想性がそれこそ”勝つか負けるか”や”正しいか正しくないか”という二元論に囚われない、哲学性を有している点である。

筆者が『ロッキー』1作目を特に愛して止まないのは、今作が成人を超え人生の転機を目前に控えた若者にとっての指針であり、またファンタジーだからである。

と、同時に無名だったシルベスター・スタローンという人物の半ば自伝的な部分が最も色濃く反映された結果であり、恐らく政治的なメッセージ性を込めた『ランボー』よりも更に”私小説”的な後味の残る作品だからである。

 

ロッキーの言葉を借りるならば「俺がクズでないことを証明できれば、それでいい」のだ。

また、役者であり、脚本家、優れた監督の資質をもって後年長きに渡ってハリウッドを練り歩くことになるスライの半生を知ることが出来る貴重な作品でもある。

筆者はスタローンを職人気質なシラリオライターであると同時に、また大衆娯楽の中に普遍性を見出し、その最中に個人的なメッセージを込めることを怠らない、

信頼できる詩人家”の側面も見逃せない。これは学生時代より、文学や戯曲に嗜み、決して努力することを怠らなかったが故の賜物だと信じている。

実のところ、ロッキーが戦っていたのは己自身であり、こうした精神性は学生時代に読みふけったヘミングウェイの『老人と海』によって着想を得たものだと推測している。

 

3.時代と共に変わりゆく”ロッキー”

 

指摘されて初めて気がついたが、今作は『卒業』と同じ構造で成り立っている。

細かな経緯は異なるが、最後はどちらのカップルも、上手くいくか分からない現実に向かって、二人で肩を並べて向かっていくことになる。

図らずも、『ロッキー』もまた、先の見えないアメリカの中で不安にまみれながらも

ただ前に進むほか無い男女の物語を描いたわけである。

 

だからこそ、『ロッキー2』ではあれだけこだわっていた”勝ち負け”の世界にカムバックし、遂には世界チャンピオンとなる。

負けること」以上に「勝ち続けなくてはならない」という輪廻に囚われてしまったことによって、「勝ち負け」を差し置いた人生の本質に由来していた1作目の儚さは消え去り、なんだかんだいって、収まりのいい女とひっついたヤンチャな先輩を見ているようで、がっかりした記憶もある。

 

『ロッキー』の精神性とは流れに身を任せるのではなく、自らの意思でもって何かを貫くことの気高さ自他を受け入れることの美しさであったのだが、

最終作となった『ロッキー・ザ・ファイナル』では、「人生は辛く、どんな重いパンチよりもお前を打ちのめす。だが、休まず前に進み続けろ。その先に勝利がある」とまで言わせている。

 

現実はロッキーの言うように辛く、重い。社会に出れば常に競走。個人の意思は二の次だ。故に俗世間から一歩退いた『ロッキー』の精神は儚くもピュアだ

ゆえに多くの人の夢として、今だに根強い人気に支えられているのだと感じる。

 

だが、『ロッキー』シリーズ自体の魅力は、「ただ勝つこと」に貪欲になった時期もあり、妻を失い、友人を失い、年を経るごとに新たな困難や現実と向き合い、観客と成長し続けたシリーズに大成したことである。

第2作目となった『ロッキー2』では、フィラデルフィアの子供たちを引き連れ、ロードワークに励む姿が描かれる。

 

これは『ロッキー』が1作目で終わっていたら、叶わなかったことだろう。

特に精神的な部分において批判の分かれる『2』以降の作品群も、ボクサーを諦めることになっていたら、アポロとの友情はありえなかったかもしれないし、ましてやアポロの息子を指導することなどありえなかったかもしれない。

酷評の評価を受けた『ロッキー5』も、遠い目で観ればスタローンの「リングを降りた一人の男の落とし前のつけ方」という美学が見え隠れする。

 

だが、それもこれも、ロッキーが全て納得づくで一度はリングを降り、恋人と添い遂げる決意をしたからこそ、現在に繋がっているのだと感じる。

 

『ロッキー』とは、前述の私小説的な立ち居地からスタートし、大衆娯楽としてグレードアップを図りつつも、やがてはたった一人の老いた男の物語へと帰結した、稀有な作品である。

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1作目公開当時はかつて「友愛の街」と謳われたフィラデルフィアの荒廃をスタローンは嘆いたが、それに希望の光をさしたのは、紛れも無いロッキーその人だ。

ロッキーのひたむきさや人間性は周囲の人々を紡ぎ合わせてゆく。

 

作品で印象的だったロッキー・ステップには、今もなお多くの観光客が『ロッキー』を思い、足を運び、両手を上げロッキーの真似事に興じている。

(そういえば、最終作となった『ロッキー・ザ・ファイナル』で犬につけた名前はステップスだった)

 

数々の段差を踏み越え、高みに上った先には朝日が待っている。

 

実は、『ロッキー』1作目で本当に伝えたかったテーマは、これではないだろうかと、シリーズ全作を見渡して、強く感じた。