感想『シャザム!』ハイエンドに構築された老若男女対応型、ポッポコーンムービー

f:id:shin_tayo:20190430223738j:plain


だいぶ久々の更新になってしまいました。

 

職場が変わって、土日がある程度休みが取れるようになった反面、

グダグダとデスクワークに取り組むことができなくなり、

なかなか観た映画を文体化できずに仕事に忙殺される日々を送っております。

 

憎っくき(?)福田雄一監督の日本語吹き替え監修で話題になりつつも、

DC映画に爽やかな風を送り込んでくれるのではと、公開前からジワジワと期待値を上げていた、『シャザム!』

 

早速観に行ってきましたよ、ということで、やっていきましょう。

 

f:id:shin_tayo:20190430223758j:plain



物語は今作におけるヴィラン(悪役)であるDrシヴァナ博士の少年時代から幕を開ける。

ナヨナヨとした性格ゆえに、父親からも年の離れた兄からも疎外され、一人孤独に少年時代を過ごしていたシヴァナ少年。

父親の運転していた自動車から忽然と二人の姿が消え、気がつけばこの世とは別の世界に誘われることになる。

 

そこで悍ましい、異形の怪物たちの石像と光る杖を携えた、怪しげな老人。

老人は、自らを魔術師と名乗り、怪物の石像は”七つの大罪”を象徴する魔物を封じ込めたものだとシヴァナ少年に語り聞かせる。

 

長い時を魔物の封印に消費したとも語る老人の目的は、新たに魔術師たちの跡を継ぎ、偉大なる魔術のパワーを継ぐ”勇者”を探し出す事だと打ち明ける。

七つの大罪”を生み出すきっかけになった魔術師の失敗の経験になぞらえ、”純粋な心の持ち主”を見極めていたのだ。

 

困惑する間も無く、”純粋な心の持ち主”かどうか、テストにかけられるシヴァナ少年。

ところが、魔物たちの誘惑に負け、危うく邪悪な魔術を操るための力に心を乗っ取られそうになる。

寸手のところで魔術師に制止されるも、素質なしとして、現実世界に送り返されてしまう。

どうにか父親たちを見返したかったシヴァナ少年だったが、時すでに遅し。そのまま社内で暴れ出したせいで、車はトラックに衝突し、

家族もろとも突き飛ばされ、運転席から放り出された父親は半身不随に。シヴァナ少年は心に深い傷跡を残したまま、暗く耐え難い人生を送ることになる。

 

時は流れ、現代のアメリカはフィラデルフィア

里子として家を転々としては、産みの親であり生き別れた母親を探すため、問題ばかり起こしていた、素行不良の少年、ビリー・バットソン

とうとうある日、70人近いバットソン家を訪ね歩いた先で、警察に補導されてしまう。

 

奇遇にも、グループファミリーという身寄りのない子供たちを集めている夫婦の元にやっかいになることに。

年代も人種もバラバラな子供たちをまとめる心優しい夫婦の元、足が不自由だが、ワル知恵の働く少年、フレディと出会うことに。

長い間、心を閉ざし、屈折したビリーはなかなか”家族”というものに馴染めずにいた。

ある日、スクールでいじめにあっていたフレディを助けるため、いじめっ子たちに一糸報いてやったビリーだったが、逃げ込んだ先の電車の乗客が徐々に消えてゆき、

冒頭で現れた謎の空間に、同じく誘われるビリー。

 

そこには、成長したシヴァナ博士が痛めつけた魔術師と、崩れ落ちた魔物を封じ込めた石像の残骸が。

いよいよ邪悪な魔術の力がシヴァナの手に渡ってしまったばかりだったのだ。

魔術師は青天の霹靂とばかりに、ビリーに”勇者”の素質を見出し、自らを「シャザム」と名乗る。

 

シャザムはビリーに自らの名を唱えるよう強要する。応じたビリーが「シャザム!」と唱えると、突然、頭上から放たれた稲妻がビリーに落下。

SHAZAM

の力を受け継いだビリーの体は見違えるほど大きく、強くなり、死ぬほどダサいコスチュームに身を包んでいた。

魔術師は砂となって消え、気がつけば電車の中に戻っていた。

元に戻る方法もわからず、泣く泣くフレディを頼るハメになったビリーことシャザム。

最初こそスーパーパワーに戸惑いながらも、偶然遭遇した強盗を圧倒したのをいいことに、徐々にその力をフレディの悪ふざけやビールを買う口実に使ったりと、まぁ、やりたい放題。

その様子をYoutubeを投稿したおかげで、シャザムの人気はうなぎ上りに。益々図に乗ったビリーとフレディは稲妻でATMを破壊したり、

子供の姿では入れないストリップクラブに入るために変身したり、子供の考えそうな”大人になったらやりたいこと”をかたっぱしから実践していく。

ところが、シャザムの存在を嗅ぎつけたシヴァナが現れ、更なる力を得るため、ビリーとフレディに迫る。

 

というのが、今作のざっくりとしたあらすじである。

 

出だしこそ、特に眼を見張るような展開や描写こそないものの、ビリーが招かれる”人種のるつぼ”的なグループファミリーの様子や、

その後の展開を見ると、今作が現代的な価値観で持って制作された、実にイマドキの映画であると分かる。

家族であることに、血のつながりや生い立ち、肌の色などは関係がないということなのだ。

f:id:shin_tayo:20190430223932j:plain



今作の良い点の一つとして、マーク・ストロングつよし)演じる、シヴァナのオリジンから幕を開けることだろう。

家族には恵まれながらも、その愛情までは得ることができなかった彼は、とうとう最後まで父親に強要された”男らしさ”=他人を蹴落とし、唯一の存在になること、という観念に取り憑かれる、

悲哀に満ちた人物として描かれる。故に、シヴァナの振る舞いには遠慮がなく、”悪役”という役割をおおよそ見事に演じきっている。

 

対する主人公と異なる主義主観を持ちながらも、ほぼ同等の描かれ方をされている点では、サム・ライミ版の『スパイダーマン』を思い出す。

 

シヴァナは、”こうあったかもしれない”というビリーの鏡写しでもあるのだ。

 

ネタバレになってしまうので今回は控えるが、終盤のビリーが取る”ある行動”も、そうしたキャラクターの認識の変化という線上にありながらも、物語がマンネリ化しそうな絶妙なタイミングで放たれる。

今作で提示されるのは「大人になったら何がしたい?」という投げかけであると同時に、「大人になったら何ができるの?」という裏返しでもあるわけだが、

そうした意味ではシヴァナは、成人していてもやや幼稚な思考に取り憑かれた人物であり、グループファミリーの両親も、なるべく子供たちを必要以上に傷つけまいと振る舞い、温かさはあるが、頼りにならない。

厳格な指針となる”大人”が居ない以上は、子供同士で、どうにかたくましくやっていくしかない。

ふっと備わった力も、縁も、全ては賜り物で、それを無下にするかどうかは、自分次第なのだ。

 

タイトルロールである、シャザムを演じるザッカリー・リーヴァイの演技は素晴らしく、ひたすらに無邪気である。

普段、感情を発露しないビリーが、シャザムになると14歳の少年に戻ってしまう、という点では大人の退行現象にも見える反面、いかにビリーが世俗と距離をとっていたのか、

という説得力にも繋がっている。

「シャザム!」の一言でスーパーマン並みの能力を得て、友人の為にビルの屋上から飛び降りつつ変身、沈むゆく夕日に飛んでいくシーンでは、思わず泣いてしまった。

 

元々の原作はニワカ知識ぐらいの認識しかないのだが、なるほど、この世界観はザック・スナイダー主導の世界観ではそぐわないとも納得できる。

DCコミックスはこれから、マーベルのような明るく楽しい作風を取り入れていくことを公言し、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』のジェームズ・ガンを起用したりといくつもの試みを始めている。

かといって、DC特有のダークな魅力を捨てることなく、ホアキン・フェニックス主演で『ジョーカー』を同年で公開予定だったりと、徐々にではあるが、

取り扱う作品の幅を広げている。

 

こうした流れは、ディズニーの完全なる傘下になってしまったマーベルがやや鈍重になった部分ではあるので、『シャザム!』のような万人ウケするような作品と同時に、

ティム・バートン版や『ダークナイト』を見て育った世代も取り入れるような、ダークな作品も続けていってほしいところだ。

 

次回作は、恐らく、備わった力がどう社会に影響するか、という話になるだろうと予想する。

そうなると、大人と子供の境でもがく少年たちに対して、勧善懲悪のヴィランがただ闇雲にパワーで蹂躙するだけの映画にはなってほしくないなぁという懸念があり、

対するメインヴィランドウェイン・ジョンソン演じるブラックアダムの登場が囁かれているので、筋肉ゴリ押しの作風になる不安が頭をよぎる。

いずれししろ、ビリーやフレディが”圧倒的な力や思想”を目の当たりにし、”敗北”を味わい、挫折を経験するというのは、ヒーローものはもとより、

人間としての成長に欠かせないプロセスであると想像する。

その上で、唯一の可能性があるとすれば、バッツやスープスといった、先輩ヒーローによる”師弟関係”に似た展開だろうか。

 

個人的にはシャザムには、かつてのジャッキーのような、”憎めない弟子”感を期待してしまう。

”ヤングマスター”や”酔拳”のようなテイストも悪くはないなぁと夢想してしまうのである。