『ゴジラ1984 コンプリーション』発売記念トークイベント 84ゴジラ復活トーク』 イベントレポート  2019 0223

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去る2019年2月23日に新宿ロフトプラスワンにて行われた、

ゴジラ1984 コンプリーション』発売記念トークイベント 84ゴジラ復活トーク

 

1984年(昭和59年)12月15日に公開されたゴジラシリーズの第16作である『ゴジラ』のファンブックの発売を記念し、当時、制作に関わられたスタッフをお呼びして当時のお話を伺おうという趣旨のこの企画。

 

ゴジラ1984』といえば、ファンとしてはなんとも複雑な思いの残る一作ではありますが、個人的にはちょっとアレなところも含めて大好きな1本でございましたので、友人からのお誘いを受け、ホイホイと参加して参りました。

 

このイベントで明らかになった事実も多々あり、なかなかブっとんだイベントでした。

 

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まず、このゴジラ1984が制作された経緯として、前作にあたるメカゴジラの逆襲(1975)』からおよそ10年ぶりの新作して封切りに至ったという経緯があります。

 

既に作品を一度でもご覧になった方なら分かる通り、第一作『ゴジラ(1954)』から『メカゴジラの逆襲(1975)』に至るまで、何度も監督を務めていた本多猪四郎監督(以降は黒沢明組に合流、晩年まで演出補佐として活躍)に代わり、今作でメガホンを取ったのは、助監督経験はあるものの監督としての経験は浅かった橋本幸治監督。

特技監督には”爆発の中野”こと中野 昭慶監督と、約10年という歳月を経て新旧スタッフ入り乱れたとはいえ、次作ゴジラVSビオランテ(1989)』における大森かずき氏の抜擢、のちに平成ゴジラシリーズで存分に腕を振るう事となる特技監督川北紘一監督と、スタッフの入れ替わりやリブート感はゴジラVSビオランテのほうがある。

では、ゴジラ1984』とは一体なんだったのか、と問われれば、ファンとして確実に答えられるのは「時代の呼ぶ声にゴジラが応えた」ということであり、また、現在は崩壊してしまった東宝のスタジオシステムの残り香を宿す、貴重な一作ということだ。

 

 

さて、前振りが長くなったものの、今イベントについて書いていこうと思う。

 

今イベントに参加頂いた面々は以下の通り。

 

中野昭慶監督(特技監督

大河原孝夫監督(本編撮影班チーフ助監督)

浅田英一監督(特撮班チーフ助監督)

薩摩剣八郎氏(ゴジラスーツアクター

安丸信行氏(特殊技術・造形)

 

残念ながら、監督である橋本幸治さん、ゴジラ作品のメーンプロデューサーである田中友幸さんは既にお亡くなりになっている。

 

トークショーという性質上、以下は箇条書きにて記載。

 

トークショー第一部〜

・登壇者:

安丸信行氏(特殊技術・造形)

薩摩剣八郎氏(ゴジラスーツアクター

中野昭慶監督(特技監督

 

ゴジラが星座に認定された、という話を安丸さんからご紹介。

www.sankei.com

 

●当時を振り返り、それまでちぎったウレタンを貼付けていたスーツ製法から、粘土原型を型取りする方式に変わって、当然、スーツの動き易さに大いに影響が出たというお話。特にしゃがみこむ仕草が取れない。(薩摩氏談)

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●当初、ゴジラのスーツに入る予定だったのは身長180センチほどの、薩摩さんの教え子にあたる人物。ところが、現場INの直前にその人物がスーツアクターを断った為、紹介した手前、責任をとって薩摩さんがゴジラの中に入る事になった。

だから、スーツが少し大きい?(後述)

 

●当時の安丸さんは、スーツアークターとしては鬼のような注文をつけてくるので、「鬼ヤス」と呼んでいた。(薩摩)

 

●現場の信条として、現場でどう呼ぼうと、影口を叩こうと、その人の足を引っ張るような真似だけはしてはいけない。それは個々が最高の仕事をするための絶対の掟。(安丸、薩摩)

 

中盤あたりから中野監督が合流。第二部からは

 

大河原孝夫監督(本編撮影班チーフ助監督)

浅田英一監督(特撮班チーフ助監督)

も参加し、

 

話は更にディープに。

 

●薩摩くんの最初のスーツテストの際、ゴジラの歩きはまったくなっていなかった。ので、急遽特殊効果班に依頼して、足取りが重くなるように、足裏に鉄板を仕込ませた。

無論、薩摩くんには内緒で。ゴジラは初代の中身である中島春雄さんが提唱する「象の足運び」すなわち「能のすり足」を意識せねばならない。そうした意味では、武道家の薩摩さんの抜擢は大正解だったのだが、当初は薩摩流の足運びが抜けきれていなかった。(中野)

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ゴジラ有楽町マリオン近くで新幹線を掴んで破壊するシーン、当時、薩摩さんは直前のシーンまでの撮影は終えていたが、あのシーンは代役が努めていた。

だから、芝居がぜんぜんなっちゃいない(中野、薩摩)

 

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●晴海埠頭から上陸するシーン、スーツの中に水が入り込んで歩きの芝居が中野監督、薩摩さん共に納得のいくものになかなかならず、苦労した。

同時に、針金が足に直接当たってしまっており、初めて撮影にストップをかけてしまった。慌てて足を脱いだら、血だらけだった。(中野、薩摩)

 

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●当時の沢口靖子さんについてどうでしたか、というファンからの質問。

(司会の中村哲さんは「そこを突くか…と苦笑」)

東宝シンデレラということだったけど、階段あたりでおこなったスタントも自らこなし、体当たりで撮影に臨んでいた。とても良い子だった(大河原監督)

 

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●今作で最も難しい点は、それまでの東宝チャンピオンまつりのように、南海のジャングルのような低予算のセット組ではなく、現代社会のビル群とゴジラの対比。

それまで50メートルだったゴジラの身長を、当初は高層ビルに負けないよう、100メートルにしようとしたが、美術班からのクレームにより、「じゃあ二割減で」ということで80メートルに再解釈されることになった(中野)

 

 

有楽町マリオンビルの東宝マークは建設途中で、どの位置に付くのか分からなかった為、美術班には先に東宝マークだけ作らせて、ギリギリで貼付けた。(中野)

 

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●安丸さんの手掛けたゴジラスーツは未だに傑作。大小さまざまな大きさのウロコの醸し出す「堅さ」や「鎧感」、目を走る赤い血管の表現は当時としては斬新。

個人的には三白眼のゴジラというものに抵抗があったものの、結果的なスーツの出来には大変満足している。(中野)

 

三原山のロケは大変だった。途中から荷物をもって登山するしかなかったので、

それだけで体力の消耗が激しかった。(浅田、大河原)

 

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北朝鮮からの依頼で制作されたプルガサリの話。(安丸)

当時、国交が断絶していた為、中国の北京を経由して現地入りするしかなかった。

爆発用の火薬を大量に北朝鮮に送ってもらう必要があった。

こいつら戦争でも始める気かと思っただろうね」と中野監督。

ガードマンと言っていたけど、あれはどう見ても俺らがスパイ活動しないか監視するための監視員が二、三人付いて回ったと薩摩氏。

 

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●サイボットゴジラの似てなさはファンのみならず、スタッフ一同でも感じていた。

動物のアゴの開き方に前々から疑問を持っていた為、そのあたりを改善する機構に関しては満足しているが、全体的な造形は残念に思う。(中野)

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●スーパーXについて

「流線型のフォルムと内部機構へのこだわりは好きなんだけど、なんだろうね、あの名前は(苦笑)」(中野)

「僕らは上の判断に従うだけなので…」(浅田)

 

●追加撮影に関して

追加撮影として行ったのは住友生命ビルと三原山ゴジラが没する2つ。

指示はプロデューサーである田中友幸さんからきたものだったが、ギリギリだったため、現場からは総スカン。(中野)

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でも、三原山ゴジラが沈むシーンは、省エネながら良く出来ている。カットとして必要なのも理解出来るから、ユーコウさん(友幸さん)の判断は的確だと感心する(浅田)

 

●『ゴジラ対ヘドラ』の空とぶゴジラのシーン

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あれ、やったのは俺なんだよ。

当時、ユーコウさん(友幸さん)入院してて、その間に撮ったんだけど、

試写後に監督の坂野 義光くんにユーコウさん(友幸さん)がご立腹で電話したらしいんだけど、真犯人は俺なんだよね」(中野)

 

「ギャレゴジで監修に回ってた坂野さんが是非やろうって言ってたんで、てっきり彼の仕業かと思ってました」(浅田)

 

●橋本幸治さんについて

 

「僕と彼は同期なんだけど、いつの間にか美術部のチーフになったり、所在の良く分からない男ではあった」(中野)

 

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田中友幸さんについて

「こだわりの人だよね。今はああいうプロデューサーはほぼ居ない。

自分がゴジラの親だっていう自負心があるから、こだわりも強かった。

ぼくらはユーコウさんってよく呼んでいた」(中野)

 

 

※その他、更に思い出したら追記します※

 

締めとして、それぞれ監督や薩摩さんによる挨拶があったあと、中野監督からは、

 

「既に34年も経った作品の為に多くの人が集まってくれて、大変感謝している。

当時、円谷英二さんから言われた言葉で、俺らは封切りが全てなんだ、ということを仰っていましたけれど、ソフト化やオンデマンドなど、様々な視聴形態が氾濫している現代では、こういうことも起こりうるということがよく分かった。懲りなければ又来て下さい」

 

との有り難いコメントがあり、無事イベントは終了。

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個人的には、当時アルバイトとして薩摩さんにスーツを着せる係として現場に潜り込んでいた樋口真嗣さんがいらっしゃったらなお良かったと思いましたが。

gigazine.net

 

当時の東宝シンデレラ第1号である沢口靖子劇場主演作第2作目という節目での今作における彼女の愛称である「サイボット靖子」しかり、その名前の由来となった「サイボットゴジラ」という新技術の導入、意味不明の武田鉄矢カメオ出演

スーパーXなど、失笑ネタに事欠かない今作ではあるものの、当時の特撮ファンの熱望に100%応えられたかは定かではないが、「現代日本を舞台に復活したゴジラ」という設定を元に構築されたストーリィや美術セットは、シン・ゴジラを鑑賞したあとの我々でこそ、なおさら新鮮に感じられるはずだ。

 

何より、既に埋め立てらてしまった東宝の大プール、東宝の9番スタジオいっぱいに制作された当時の新宿のミニチュアセットなど、体当たりで職人達がノウハウとワザを存分に振るっていた時代の良さが出ている。

その中でも、今作は10年という歳月を経て、バトンを受け取った者達の手探りの試行錯誤が感じ取られるのだ。

中野監督に円谷英二さんが仰った言葉は、総じて「画面上に移る画が全ての答えになってしまう」という映像の残酷さにも受け取れるが、それでなお、こうして作品を愛するファンに支えられる作品のイベントがある事は、観ている側としても大変嬉しく思う。

 

ゴジラ(1984)』はそれこそ、ファンのあいだでも傑作としてカウントされる事の多くない作品ではあるが、全て愛嬌や見所として後世に残って欲しい作品ではあるので、

まだ未見の方は、是非レンタルビデオ店で手に取ってみてほしい。