極私的偏愛映画⑳『アングスト/不安』~犬は無事です※人間は知らん

 

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大分前に観に行ったはずなのだが、

色々バタバタしていて記事を書き損なっていた『アングスト/不安』

 

この度、吉祥寺のアップリンクを皮切りに京都などの各所で再上映の機会に恵まれたとのことなので、鑑賞当時の事を振り返りながらのレビュー。

 

 

  •  『アングスト/不安について』

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映画『アングスト/不安』オフィシャルサイト

 

今作は実在の殺人鬼、ヴェルナー・クニーセクが起こした1980年1月、オーストリアでの一家惨殺事件を元にした実録系の殺人映画のひとつ。

1983年に公開されるも、その凄惨な内容ゆえに長らく日本公開に恵まれずに、映画ファンの間では幻の一作と評された。

公開当時の世間からの反応はすさまじく、公開禁止条例が飛び出すほどで、あまりの不評に監督であるジェラルド・カーグルは本作の製作の為に私財を投げうったにも関わらず、観客からの散々な評価に嫌気が差し、一時は映画製作の現場から離れてしまったほど。

 

(サントラがミニマムながら素晴らしいので、ぜひ読みながら聞いてほしい)

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描かれる内容もさることながら、作品自体が<異常>であり、その凄まじさは他に類を見ない映画史上に残る芸術性をも発揮、観る者の心に深い傷痕を残す。1983年公開当時、嘔吐する者や返金を求める観客が続出した本国オーストリアでは1週間で上映打切り。他のヨーロッパ全土は上映禁止、イギリスとドイツではビデオも発売禁止。アメリカではXXX指定を受けた配給会社が逃げた。ジェラルド・カーグル監督はこれが唯一の監督作。殺人鬼の心理を探るという崇高な野心のもと全額自費で製作、全財産を失った。発狂する殺人鬼K.を熱演したのは『U・ボート』(81)のアーウィン・レダー。

公式HPより抜粋

 

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なお、ビデオスルーとして『鮮血と絶叫のメロディー/引き裂かれた夜』という表題にて1988年に小規模ながらVHSでのレンタルと販売が行われた。

現在に至るも、ソフト化はされていないので貴重な資料といえる。

 

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『カノン』で世界的な評価を受けたギャスパー・ノエは本作のカルト的なファンを豪語しており、実際に本作のプロモにおいて「60回は観た」と豪語する生粋のアングスター。さすがに60回はどうかしてるって。

 

  • ネタばれなしレビュー

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本作を鑑賞しての率直な感想としては、ひたすらに描写が丁寧。の一言に尽きる。

同じくシリアルキラー映画の系譜として名が挙がる『ヘンリーある殺人鬼の記録』

とはまた異なった視点で描かれる殺人者の生態とその顛末というのが本作の概要であり、また本質でもある。

 

『ヘンリーある殺人鬼の記録』については過去に鑑賞レビューを書いたので、是非。

 

shin-tayo.hatenablog.com

 

他にもシリアルキラー映画の系譜として必ず名前の挙がる死体の肉を使った饅頭で有名な八仙飯店之人肉饅頭、死体愛好をモチーフとしたドイツ発のエログロ映画『ネクロマンティック』など、枚挙に暇がない。

 

そうしたいわゆる”殺人者映画”というカテゴリから今作が大きく逸脱している点としては、主人公である殺人者”K”の無軌道さおよそ計画と呼べるもののないまま、その道程の果てに殺人と快楽があるという点にある。

 

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端的な快楽というよりは、劇中何度も訪れるダイナーのシーンに象徴されるような、「異性への去勢」や「上の世代への反骨心」といった浅ましい虚栄心、老若男女からの様々な視線にさらされた”世間と隔絶したされた青年の凶行”といった印象が近いのだが、実際の鑑賞後の印象としては嫌悪感よりも焦燥感のほうが去来する。

 

”K”は自身のことを”ハンター”と自称し、それ以外を”獲物”と呼ぶ。

『ヘンリーある殺人鬼の記録』におけるヘンリー(演:マイケル・ルーカー)ですら、人道的に逸脱した部分はあったものの、人間の営みや最低限の生活の延長線上としての殺人があった。今作における”K”は印象的なフランクフルトをむさぼるシーンに見られるように、その意味や哲学よりも目の前のことに対する貪欲さや「何かを達成すること」を意義として、その過程で出会う人々を手にかけていく。

それは大胆さとは無縁の、向こう見のなさや”K”という人物の履歴がいつか終点を迎える

 ことを暗示しているように思えてならない。

 

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本作はカット数こそあるものの、役者の腰あたりにカメラを取り付け、まるで”K”を世界の中心として世界がゆらめくような不安定なカメラワークを駆使したり、その凶行の一部始終を追うことに惜しむことなく尺を割いてゆく。

 

押し入った一家の娘を縛り上げようとするも上手くいかず、手痛い反抗に遭いつつも、どうにか拘束に成功しても、足が不自由な男抵抗する力の乏しい老婆ひとりを始末するのにも一筋縄ではいかず、苦心する姿を容赦なく描写する。

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『アングスト/不安』は昨今に蔓延る”都合の良い描写(演出)”といった要素が排除され、”人を殺す”という行為について、その面倒くささやふとした”滑稽さ”を浮き彫りにする。

よくよく考えてみれば、人間というのは何十キロもある肉の袋なのだから、都合よく担ぎ上げたりするだけでも一苦労なのは当たり前で、「まぁ、そうなるよね」と。

 

いかに鮮やかに人の命を奪ってみせるか、という部分について今作は重きを置かず、

ただ淡々とその過程を舐めるように観客に見せるのみというのが潔い。

  • まとめ

 

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各国で上映禁止という前振りで、すっかり身構えてしまったが、

いざ鑑賞してみると確かに過激な描写が無かったといえばウソになるが、”死姦”や過剰な血しぶき人体損傷といった描写があるわけでもなく、誤解を恐れずに言えば、

やること成すこと全て上手くいかない、おっちょこちょいの”K”の奮闘は観るに従って親しみを覚えていく感覚すらあった。

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その原因は何かというと、前述のとおり、今作は現代の映画で慣れてしまった我々の感覚からするとかなり余計なカットや描写ほぼ手付かずで残されているからだと思う。

 

階段を上るという行為ひとつとっても、中途半端なところでカットは割らないし、

50キロ近い死体を持ち上げようとするも体勢を崩して横転し、その結果シーン自体が停滞しようともカメラは執拗にK”を追い続ける。

すっかり狼狽し動きがモタモタとし始めた頃には、”K”が次に何をするのかという期待や疑問は頭から払拭してしまい、むしろ”K”というヒト科の生物の生態を凝視するようになる。

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このフィクションよりもドキュメンタリーに近い感覚が、ギャスパー・ノエの言う「60回の鑑賞に耐える作品の強度」の根底になっているのだと推測する。

 

実際、筆者も共感こそせずとも、”K”の手際の悪さや人間臭さを自然と”運動会で頑張る子供”を応援する父親のような気持ちで今作を鑑賞していたことは事実で、まさか残忍な実在の殺人者をモチーフとした今作で、こんな気持ちになるとは思ってもみなかった。

 

評価は観客によって分かれるところだと思うが、筆者は強く今作のソフト化を熱望すると共に、一人でもこの作品を鑑賞して欲しいと願うばかりである。