観たぞ『ジュラシック・ワールド_炎の王国』何が”ワールド”なのか?更に切り込んだ文明批判とシリーズの今後について

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たまには話題のものを、ということで観て来ました、『ジュラシック・ワールド 炎の王国』

 

元々、少年時代に”電車””恐竜”といったジャンルにメチャメチャはまった、という訳ではないのですが、『ジュラシック・パーク(1995)』自体にはかなり衝撃を受け、

繰り返し観た世代ではあるので、気になりすぎて鑑賞。

 

原作の『ジュラシック・パーク』が出版されたのが1990年。当時問題視されていた、遺伝子組み換え技術や、人間のクローン実験を大いに反映させ、

サイエンスフィクション作品として、至極まっとうな問題定義を掲げつつも、

そこへ映像技術の醍醐味をこれでもかとブチ込み、観客及び映画関係者を驚きのるつぼに叩き込んだスピルバーグによる第1作目の『ジュラシック・パーク』の公開が1993年ですから、もう四半世紀も経つんですよね。

 

前作の『ジュラシック・ワールド(2015)』は、久々のリブート&新作ということで、キャラクターを一部除いて一新。

新たなキャラクターに、遺伝子組み換えによる新種恐竜という、以外と無かった要素をふんだんに取り入れ、SF作品としてはともかく、『ジュラシック・パーク』ファンや恐竜ファンは思わずガッツポーズをしたであろう、ファンムービーとしてもかなり出来の良い作品でありました。

 

しかし、作品の共通したテーマは変わらず、一連の作品は「人類の科学技術はどこまで進歩するのか?」「進みすぎた科学は、人類を滅亡させてしまうのではないか?

という、科学技術に対する問いかけとして機能しています。

 

SFというジャンルは、すべからくこうした現実問題の仮定現実の舞台に置き換えたり、ある種の近未来として描くことで問題定義としてきましたが、

コアなファンのものだったジャンルを、大衆文化のレベルにまで落として普及させた功労者の一人として、やはりスピルバーグは偉大だと感じます。

 

さて、今作『炎の王国』ですが、今までと主題は変わりませんが、その描き方に関して、かなり一歩踏み込んだ内容となっていました。

 

前作で閉園となったパークを巡り、所在地である諸島の火山噴火に伴い、恐竜を保護するか否か、という協議のシーンから始まり、

シリーズ共通の登場人物である、ジェフ・ゴールドブラム演じるマルコム博士は、

公聴の場にて「このまま恐竜の絶滅を見届けるべきだ。すでに彼らは我々人類の手に負える存在ではなくなっている」と述べます。

 

これを聞いた前作のヒロインである、元パークの管理者であるクレアは、恐竜保護派の立場をとり続けていましたが、寝耳に水、といったところで、パーク創設者の一人である大富豪の代理人から、より重要度の高い恐竜たちの保護の依頼を受ける。

 

同じく前作でヴェロキラプトルの飼育員であった主人公のオーウェンに話を持ちかけ、

最初は渋っていたものの、特に愛着の強いラプトルの保護となっては居てもたっても居られず、プロジェクトに参加することになる。

 

おおかたの予想通り、諸島の火山は噴火寸前。恐竜たちを救い出すため、オーウェンたちは奔走することになるが…?

 

…ここまでがネタバレとならない範囲での今作のおおまかなあらすじとなります。

 

しかしながら、ここまでは本当に序の口で、終盤に差し掛かるにつれ物語は怒涛の展開を見せます。

 

主題となるテーマはシリーズから引き継いでいるものの、見事に現代的な視点としてアップデートしつつも、ある意味、行き着くところまで行ってしまった、人類の業を描いた<ディストピア>ムービーとしての完成度の高さにド肝を抜かれました。

 

具体例を挙げてしまうと魅力が半減してしまうのですが、そうですね…

あえて言えば『ドゴラ』的というか、ゴケミドロ的な雰囲気を感じた、

とだけ申し上げられるかもしれません。

 

というのは、終盤にかけては、どうあがいても再び滅亡してしまうか否かの瀬戸際に追い込まれた恐竜たちへの同情心もさることながら、展開上のある転機から、

いいぞ、このままやってしまえ」というヤケクソで破滅的な高揚感が確かにあったんですよね。

 

余談ですが、「隕石による恐竜滅亡説」は、近年はかなり古い説となりつつあって、

隕石による一撃は、元々絶滅しかけていた恐竜たちへの最後の一打になったに過ぎない、というのが最新の説だそうです。

 

そもそも、一番人気であるT-REXの外貌に関しても、その後の検証によって様々な説があがった後も、結局は昔のままの容姿を留めたまま多くの映画に登場するのも、

結局、”恐竜”というのは、歴史上の事実でありながら、我々人類の「こうあって欲しい」というエゴや技術の進歩によって形成されている、特異なジャンルと言えるかもしれません。

 

ジュラシック・パーク』の始祖ともいえる、『キング・コング』『ロスト・ワールド(1918)』『スランバー山の幽霊(1918)』にも恐竜は登場しますが、

あくまでも、「未開の土地に赴いた探検団が生き残りの恐竜に遭遇する」という筋書きになっているので、『ジュラシック・パーク』で提示された「行き過ぎた遺伝子技術はモンスターを生み出す」という主題は、『フランケンシュタイン』的ですし、SF的と言えますが、

なにより、時代を映し出す鏡としての側面が強く、今作はそうした文明批判をエンタメレベルから更に一歩踏み込んだな、という印象が強いです。

 

あのフランケンシュタインの怪物ですら、人類は成す術なく、閉じ込めて燃やし殺し、暴力で制する他なかった時代から150年余り、果たして人類は自ら産み出してしまった存在にどう向かい合うべきなのか?

 

続編が気になって仕方ない一作となっておりました。オススメです。

 

 

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