感想『ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー』ヤヤヤ、もったいない!熱心でないスター・ウォーズファンとしての見方
やれ”監督電撃降板劇”や本国アメリカにおける興行収入面における不安視など、
散々なニュースからスタートした『ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー』
元々の監督であったフィル・ロードとクリス・ミラーのコンビと、ディズニー/ルーカスフィルム側での間で、実際にクリエイティブな面でどのようなやり取りが行われたのか、真相は定かではありませんが、
前例として、『ゴジラ(2014)』監督のギャレス・エドワーズと『ローグ・ワン』撮影終了後に大規模な再撮影/編集作業が行われたというニュースもあり、
マーベルのように若手監督にチャンスを与えてみたものの、現場はほぼコントロールできていないんじゃないか?という疑問がどうしても浮かんでしまいます。
元・監督のフィル・ロードとクリス・ミラーの手がけた部分がどこまで残されているかは不明ですが、降板後はベテランのロン・ハワードが現場を引き継ぎ、
手直しの箇所を含めたディレクションを行ったとのことですが、
『21ジャンプストリート』や『くもりときどきミートボール』といった彼らの過去作を鑑みるに、少しテイストが違うかなぁ、と感じた部分も当然ありました。
あのスター・ウォーズの前日譚、ましてや配給がディズニーということもあり、贅沢なのは重々承知なのですが、一本の映画としての満足度しては並といったところでした。
作りこまれた背景美術や、小道具、異星人の坩堝たるアウトローの世界の表現は、
たいそう絵栄えするモチーフではあったのですが、あまり世界観にのめり込むことは無かったですね。
僕は、熱烈なスター・ウォーズ・ファンではないので、正史がどうのというよりは、今作はライトセーバーの登場しない、純然たる”ピカレスク・ロマン”や”ウエスタン”な雰囲気に惹かれて観に行ったクチなので、
ソロがあまりにも”いい子ちゃん”の枠に収まりすぎているところや、ここはディズニーなのでしょうがないのですが、ワルの巣窟で誰もタバコを吸っていないのは、世界観の概略としてのビジュアルでやや気になったところです。
主演のオールデン・エアライクの佇まいは、ハリソン・ウォードのモノマネに落ち込みすぎず、新鮮な目で見れましたが、かといって、男の憧れるアウトローの片鱗を感じることも無く。
キャスティングに関しては、我らがウディ・ハレルソン兄ィが出ていることもあり、特にミスキャスト感を抱く事はほぼ無かったのですが、
皮肉屋だが、甘ちゃんの時代のソロに、”誰がどのように関わって彼の人格が形成されていったのか”があまりにも淡々としすぎていて、伝わり辛く、それぞれのキャラは立っていたのですが、イマイチ、グルーヴ感に直結していない。
要するに、これは地元のゴロツキが大志を抱きつつも、ズルズルとヤクザな世界に引きずり込まれていってしまう、ピカレスクロマンのお話だと思っていたので、
題材としては相応しいと思ったのですが、「万人が見るディズニー作品」という冠が、
「ハン・ソロ」という人間を大衆文学的なヒーロー像の限界に押し込めてしまっているような気がしました。
恐らく、「大列車強盗」や「OK牧場の決斗」など、参考にした西部劇が多々あるように見受けられたのですが、
個人的にはイタリア製西部劇の「マカロニ・ウエスタン」のハードなテイストをもっと意欲的に取り込んで欲しかったですね。
(具体的には『怒りの荒野』とか、複数の立ち位置のキャラクターが居るなら、『続・夕日のガンマン』とか、スター・ウォーズが本来の元ネタとしていた、西部劇の原典に経ち返ったテイストを期待しちゃうじゃないですか、どうしても。)
人間の裏表が錯綜し、人生の汚い部分もかぎ分けた男の匂いこそ、”アウトロー”たる所以だと思うのですよ。
それを「本当はパイロットになりたいから…」とか別の理由で置き換えてしまっているのも今作のソロがややブレた存在に見えてしまった原因の一つかもしれません。
ラストの撃ち合いのシーンだけは、「よくやった!」と心の中で褒めましたが、
今作恒例の「やっぱりいい人でいたいの」精神で雰囲気を台無しにしてくれます。
(「ケッセルランを12パーセク」って、あんなショボイエピソードだったのか…)
あ、そうそう、今作の字幕監修は我らが戸田奈津子センセイですから、色々変わっちゃってるかもしれないんで、吹き替えのほうがいいかもしれません。