映画『GODZILLA 決戦機動増殖都市』 タイトルに偽り無し。…だがこれは……。☆☆☆

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ランペイジ 巨獣大乱闘』を観終わって、少し就寝まで時間があったので、新宿バルト9で観てきました。

 

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前作『GODZILLA 怪獣惑星』から僅か数時間後の物語ということで、

NETFLIXで改めて前作を鑑賞。ついでに1作目と同時期に発売されたノベライズ『GODZILLA 怪獣黙示録』を再見。

 

前作の率直な感想としては、あくまでアニメーションという表現を用いる大前提の中、SF的なリアリティを徹底的に追求するあまり、怪獣映画としての醍醐味や盛り上がりをを大きく失っているように思えた。

 

人類がゴジラの脅威に屈し、約2万年宇宙空間を放浪し再び地球に帰還したところ、

2万年の歳月で50mから300mにまで巨大化し、その他の生態系がゴジラに順応すべく、自らの体質をゴジラ化させてしまう、という恐ろしい設定を持ちながら、

 

熱帯樹林をベースとした舞台設定が抱える演出的な問題(見慣れたビル郡などの比較対象物となるオブジェクトが無いためいくら劇中でデカイと連呼されるも、そのスケール感が非常に分かりづらく、巨大な怪獣が大地を蹂躙する高揚感がイマイチという点)もさることながら、

見せ場となる放射熱線の表現に関しても、ロジックや説明のシーケンスで補足するばかりで、決定的な”ビジュアル”としての弱さが目立ちました。

 

しかしながら前作から引き続いて、このあたりの既存の東宝製作の怪獣映画のフォーマットをあえて外してきているな、という意識も感じられ、

まずは面白い日本映画を作る”という庵野秀明監督の旗印のもと、徹底的に既存の概念にメスを入れまくり製作された、前年度の『シン・ゴジラ』で行った”怪獣映画”というジャンルへの回帰と、「エポック的な新しさ」へのアンサーという意味では非常に面白い試みであった。

 

さて、本作『GODZILLA 決戦機動増殖都市』において、ついに往年の対抗馬ともいえるメカゴジラが登場。

同盟惑星人であるビルサルド人の手によって建設されるも、あと一歩というところで大破の憂き目に遭ってしまったメカゴジラが今作での再登場を予告され、この度の新作公開にあわせてソフビ人形のリリースがアナウンスされた。

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……デザインはどうあれ、ついに巨大怪獣同士によるガチバトルが観られるのだと、

否が応でもこちらの期待値も上がるばかり。いざ劇場へ足を運んでみたが…

 

えっ、これがメカゴジラ

 

今作でのメカゴジラは、2万年に渡る潜伏期間の中で、自己修復と改造を繰り返し、

”対ゴジラ用要塞都市”と化してしまったというのだ。

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その外貌は上記の怪獣然としたビジュアルではなく、まさにプラントコンビナートといった趣で、物語的には自立思考金属=ナノメタルの集合体であるメカゴジラの生み出す攻撃兵器は、対ゴジラ用として唯一の望みとなる、という理屈だ。

ナノメタルの恩恵を得た主人公であるハルオを指揮官とした”対ゴジラ討伐チーム”は増殖をし続けるプラントを拠点とし、文字通り鉄壁の構えで再びゴジラへの奇襲攻撃を計画するのだが…。

 

メカゴジラがもはや二足歩行のロボットである必要がない」

 

とう解釈に至ったのは、そもそもゴジラを模した兵器というメカゴジラというキャラクターの抱える非現実的な要素(お約束ごと)を完膚なきまでに廃した結果だろう。

 

「自立した思考を持つ金属」というSF的なガジェットは『ターミネーター2』をはじめ、多くの作品で模倣され繰り返されてきたモチーフであるため、その表現方法含め、とりわけ真新しさは感じないが、こと『GODZILLA 決戦機動増殖都市』の中では、物語の中核を担うマテリアルとしての役割を大いに発揮していた。

 

繰り返される核開発競争と自然破壊の果てにゴジラを産み出してしまった人類」という歴史的な背景がありながら、同盟星人であるビルサルドが同じく”禍々しい科学文明”の象徴であるメカゴジラにその身を捧げてしまう。

 

ビルサルド人の特性である論理的思考は非常に共感に足る動機はあれど、それは文明信仰のような歪んだ形で描かれており、詰まるところは「カミカゼ特攻」の世界だ。

 

主人公であるハルオの中で「人命を賭してまでゴジラに勝つ必然性」を逆に異なる種族から突きつけられ、「命を賭けてもゴジラを殺す」決意が揺らいでしまう。

 

メカゴジラ(ナノメタル)を使用するということは人道の道に反してしまう危険がある

というロジックを予め成立させ、ゴジラによって滅びた人類の姿を劇中で反復させる形で物語の根幹にあたる部分に、自らメスを入れていく様は、

誇張の効いた台詞回しやガジェットの使用を余儀なくされるアニメというジャンルだからこそ、物語の本質を鋭利に研ぎ澄ますことが出来るのか、と思わず舌を巻いた。

 

しかしながら、(同日に『ランペイジ 巨獣大乱闘』を観てしまったせいもあるが)

やはり前作では観られなかった巨大怪獣同士のぶつかり合いもまた観たかった、

というのが、いち怪獣ファンとしての正直な感想である

 

近年でもかなりシリアスな路線の今作において、物語的なロジックを突き詰めれば、当時の東宝の安直な思いつきで産まれた”メカゴジラ”の存在が、どうしても荒唐無稽に映ってしまう危惧は良くわかる。

しかしそれは、劇中でゴジラを討伐するためナノメタルに同化していったビルサルド人の論理の帰結として”都市化”する、でも良かったのではないだろうか?

鋭敏化された物語軸が整っているが故に、僅かな隙間にでも、ぼくらの好きな怪獣要素を1ミリでも入れられなかったのだろうか?という疑念ばかりがよぎってしまうのが残念でならない。

 

割愛してしまったが、今後は恐らく登場する各種族に対応した怪獣が登場することになる。

 

今作までの計2作品を見る限り、今シリーズでの怪獣は現実の人類の抱える多面的な問題のメタファーとして登場し問題定義の役割を果たしているようにみえるが果たして…

 

ともかく完結編となる次回作では、あまりロジカルなほうに傾きすぎないで、少し知能指数を落として巨大怪獣同士の全力のぶつかり合いを大スクリーンで見たいものである。