感想『イコライザー2』必殺仕事人マッコール再び。

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多忙の合間をぬって、観てきました『イコライザー2』

 

 

前作は『ジョン・ウィック(2014)』と公開がほぼ同タイということもあってか、初見の印象としては『舐めてた相手が殺人マシーンでした型ムービー』(命名:ギンティ小林)の一派として、なんとなく見て薄い印象で留まっていたのですが、

「そういえばあのシーン良かったな」と妙なとっかかりを覚えて、気がついたらブルーレイを購入してリピート鑑賞。

 

まさに「なめてた映画が実は名作でした」(ウィークエンドシャッフルからの引用)ムービーとして、お気に入りの一本となりました。

 

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予告編で使用されているのはケンドリック・ラマー。洋画予告、ラマー使いすぎじゃね?問題。

 

はてさて、前作『イコライザー』ではホームセンターの店員として働きながらも、

知り合った娼婦の少女のために、元CIAエージェント時代の殺人スキルと恐ろしいほどの虚無顔を用いてロシアンマフィアをたった一人でをイコり倒したバート・マッコール。

 

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 (今作の応援コメントで最も秀逸だったのがコレ)

 

デンゼル・ワシントンがものすごい速さで悪党をしばく」ことを「イコる」と称したセンスには本当に溜飲の下がる思いでした。

 

今作では、ホームセンターの店員からUberタクシードライバージョブチェンジ

 

監督のアントワン・フークア曰く「彼はタクシー運転手になることで、前作よりも周囲の人々との触れ合いや接点を求めるようになった」とのことですが、転職の甲斐あって、世の悪事へのレーダースキルが上昇。サブクエスト要素が追加されたことにより、ヴィジランテ感が増し、髪も生えました。

 

同時期の『ジョン・ウィック』との類似点を探した際に、まずエンニオ・モリコーネ風の音楽を挙げるのですが、逆に決定的な”殺しのスタイル”の違いとして、『ジョン・ウィック』は殺し屋のプロであり、様々な銃器といった獲物の扱いや、戦闘術に長けた亜流のプロであるのに対して、デンゼル演じるマッコールにとっての”殺しのスキル”とは、銃器に限らずその場にあったウイスキーグラスクレジットカードですら武器化する環境利用戦法。DIY精神溢れる戦闘スタイルがなんともいぶし銀で良いのだ。

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通称「仕置きのテーマ」

これを聞きながら街を歩いていると、どうしても歩行がスローモーション風味になってしまう。率直に言って最高

 

単純にマッコールが「銃器の扱いに長けた元・CIAのエージェント」という肩書きで、

躊躇うことなく相手と同じく銃器を用いた銃撃戦を行っていたら、恐らくその他大勢のアクション映画郡に埋もれてしまっていただろう。そうした意味では良い差別化であったと思う。

 

両者とも、「こうあるべき」という像に囚われ、サイコパスめいた面を覗かせる点においては、マッコールはより強い強迫性障害を患っているような描写もあり、イコり仕事の際に見せるホホジロサメのような「真っ黒」な虚無の瞳も相まって、より勧善懲悪に基づいたダークヒーロー像として確立している。

 

タイトルの「イコライザー」とは一般的には音響の周波数を均一にする為の装置を指すが、劇中のマッコール自身の存在証明として機能するタイトルとなっている。

彼は強者の暴力にさらされる弱者のために暴力を用いることにより、世の中の善悪のバランス(均衡)を維持(イコライズ)しようとしているわけだ。

 

アクションエンターテインメント映画とはいえ、マッコールの思想は、ともあれ異常であり危うい思考である。劇中、住まいのアパートの壁のラクガキを自ら修繕するシーンがあるが、

誰もやりたがらないことを誰かがどこかでやっている」という発言からも、自身が特殊なスキルを有し「見てみぬ振り」される悪事に対しての思想が窺がえる。

自分はそれを解決できる。から、やる」とまで言い切っている。まさしくニーチェの唱えた「超人思想」に基づく、破綻しつつも高貴な精神論の持ち主としての異彩を放つ。ある意味、クリント・イーストウッド的でもあり、銃社会アメリカ的な

いわゆる「人を殺すときにキメセリフ」というハリウッド映画のクリシェになぞらうこともなく、ただ淡々と他人の命を奪うのがマッコール。

 

演じ分けは流石のデンゼル。善人そうな一般人と「ヤバイ奴」の両方の切り替えと、

違和感の上手な出し方が出来ていたと思います。

 

今作での残念だったポイントとしては、主に国内での宣伝と実際の映画のテイストにあまりにも開きがありすぎることだろうか。

 

映画としてマッコールをアイコン化する為とはいえ、「イコライザーVSイコライザー」「19秒で悪をシバく」というのは、後者こそ前作にて存在した描写とはいえ、

その後はむしろ、苦戦を強いられつつも戦っていたこともあり、実際に見た物語の筋書きとの鑑賞前の印象の差異としては、違和感を覚えた。

 

あとは、今作は元・CIAという設定の掘り下げもあったせいか、マッコールの過去や身内の殺し合いに焦点を当てすぎたせで、前作で見られた「正体不明の殺人マシーン感」に説得力や裏づけが成されてしまい、神話性がやや低下した印象もある。

 

前作で印象強く演出されていた、ダイナーに入っても、注文するのはお湯だけで、わざわざティーバッグを持参する神経質さ。

かつ、心を開いた相手との食事には応じる、という絶妙なバランスで成り立っていた、ロバート・マッコールという半人半神的な人物像と今作を照らし合わせると、かつて同じ穴のムジロとして寝食を共にした相手を殺して回り過去を清算することで本来、亡き妻の望んだ男になり、マッコールなりに悟りの境地に至ったのだと信じたい。

 

 とはいえ、『タクシードライバー』『狼よさらば』や『許されざるもの』『ペイルライダー』『狼の死刑宣告』といったヴィジランテもののジャンル映画として、秀でた秀作であることに変わりはないので、是非ともまたマッコールさんが「イコる」姿をお目にかかりたいと思ってしまうのである。