”流行ものには福がある” 観たぜ!『カメラを止めるな!』感想記

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ここ数週間ほど、筆者のSNSのタイムラインで「インディーズ作品にも関わらず、口コミで評判が広まり大盛況」と、かなり話題となっていた今作。

 

どうやら、事前にネタを仕入れないほうが楽しめるとのことだったので、

「やれやれ、またゾンビものか」と、ノー知識ノー期待の状態で鑑賞。

ところがどっこい、とんでもねぇ傑作であった。

 

 

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監督&俳優養成スクール・ENBUゼミナールの《シネマプロジェクト》第7弾作品。短編映画で各地の映画祭を騒がせた上田慎一郎監督待望の長編は、オーディションで選ばれた無名の俳優達と共に創られた渾身の一作だ。
​脚本は、数か月に渡るリハーサルを経て、俳優たちに当て書きで執筆。他に類を見ない構造と緻密な脚本、37分に渡るワンカット・ゾンビサバイバルをはじめ、挑戦に満ちた野心作となっている。
2017年11月 初お披露目となった6日間限定の先行上映では、たちまち口コミが拡がり、レイトショーにも関わらず連日午前中にチケットがソールドアウト。最終日には長蛇の列ができ、オープンから5分で札止めとなる異常事態となった。イベント上映が終わるやいなや公開を望む声が殺到。この度、満を持して都内2館同発での劇場公開が決定した。

その後、国内では「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2018」でゆうばりファンタランド大賞(観客賞)を受賞。インターナショナル・プレミアとなった「ウディネ・ファーイースト映画祭(イタリア)」では上映後5分間に渡るスタンディングオベーションが巻き起こり、アジア各国の錚々たるコンペ作全55作の中でシルバー・マルベリー(観客賞2位)を受賞。1位は750万人を動員した韓国の大作「1987」であったが、その差は0.007ポイント差と肉薄した。

無名の新人監督と俳優達が創った”まだどこにもないエンターテインメント”を目撃せよ!

(公式サイトより抜粋)

 

お話としては、

 

とある自主映画の撮影隊が山奥の廃墟でゾンビ映画を撮影していた。​本物を求める監督は中々OKを出さずテイクは42テイクに達する。そんな中、撮影隊に 本物のゾンビが襲いかかる!大喜びで撮影を続ける監督、次々とゾンビ化していく撮影隊の面々…

 

といった内容なのだが、正直、この冒頭約30分に及ぶゾンビとイカレた監督とのドタバタ劇に耐えられるかどうかで、かなり人を選ぶ映画であることは間違いない。

 

※以下、今作のネタバレ、エンディングに関する内容になります※

今作に関しては、これ以降の展開は全てネタバレになってしまうので、可能な限り言及は避けたいところだが、どうしても触れざるを得ないため、了解頂けた方のみ、以下をお読み頂きたい。

 

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「撮影は続ける!カメラは止めない!」と豪語する監督。後に壮大な伏線となる。

 

冒頭から続く、30分間のダメダメな映像作品を見せられ、内心「また安直なゾンビ映画」と心底ウンザリしてきたところで、件のゾンビ映画のタイトル

「ワンカット・オブ・ザ・デッド」の文字。

ワンカット撮影は、映像かじりの若手がこぞって挑戦する、所謂「映像屋あるある」なので、とりわけ驚きも無く、退屈しきっていたところでエンドロールが流れる。

えっ、まだ30分しか経ってないけど…」と考えていたところで、場面はうって変わり、時は1ヶ月前へ。

 

そう、冒頭のゾンビ映画は、今作『カメラを止めるな!』の単なる序章であり、またその集大成(後述)であったことが明かされる。

 

劇中で怒声を飛ばし、役者の牙をむき出しにしていた監督は、私生活では温厚で妥協点ばかり探している、いわゆる”大物”になりきれない、しがない、いち映像ディレクターであったことが描かれる。

 

事務所に配慮し、スポンサーに配慮し、プロデューサーに気を配り、役者が無礼でも決して声を荒げたりできない。冒頭から打って変わり、うだつのあがらぬ情け無い姿を晒す。親の血を継ぎ、監督になるべく精進するも、熱血さが仇となり現場を転々としていた娘からは「情けない父親」のレッテルを貼られ、日々辛らつな態度を取られる始末。

 

ところが日本初の”ゾンビ映画専門チャンネル”のとあるプロデューサーから「早い、安い、上がりはそこそこ」のモットーを買われ、番組冒頭30分の映像制作を依頼されることになる。

だが、同時にひとつの条件を提示されることに。それは「30分ワンカットで生放送」という、ありえない依頼であった。

 

続々と集まるキャスト、スタッフたち。

旬を迎え天狗になっている主演俳優、ことあるごとに「事務所が~」とぬかす鼻につくヒロイン役。アルコール中毒のベテラン俳優。飲み水ひとつでスタッフに食ってかかる何故か傲慢な脇役俳優。キャストと現場で不倫行為に走るドスケベ人妻女優。

 

キャストだけでも曲者ぞろいで、早くも辟易する監督。

 

撮影スタッフは出来るベテランを揃えた甲斐あって、どうにか撮影初日を迎えるも、

急遽、キャスト二名が撮影に参加不可となり、たまたま見学に来ていた元・女優の妻と共に、監督が”監督”を演じるという奇妙な撮影現場に叩き込まれてしまうこととなる。

 

果たして撮影は上手くいくのだろうか?というところで、続きの物語は是非、劇場でご覧いただきたい。

 

今作におけるもっともヒネリの利いたポイントとしては、やはり冒頭の30分間のゾンビドラマを後半の60分を使って追従し、裏側を単なるバックストーリーではなく、”撮影現場の混沌”を極めて喜劇的に描き、観客を「批判を前提とした単なる傍観者」から「共犯して作品を作り上げる側」の視点に引きずりこむことで、極めて観やすくキャッチーな印象に仕上げていて、この監督は「観客に受け入れてもらい易い作品」のハウツーを熟知しているなと感心した。

 

前半の退屈極まりない映像体験を、あえてダメダメなまま冒頭にアタッチし、それを補う形で後半で、映画内の時間を反復させることになる。

 

妙に役者同士の芝居に妙な間があったりと、「低予算映画」ならではの至らぬ駄目ポイントも、「こうなっていた」という裏側を見せられてしまうと、ただ笑うほか無い。

 

ひとつの作品を完成させる、ということは、本当に多くの人間が関わることと同義であり、その中で自らの意思を押し通したり本来の形を維持することの難しさは、

映画のみならず、どの仕事でも経験があると思う。

作品の首謀者とそれに携わるスタッフとの思い入れの温度差など、

こと作品作りは表向き、民主的でありながらも、どこかで独裁的にならなければ成立しない全員の意見を取り入れることなど、不可能なのだ。

 

だが、どんな作品でも、誰かの情熱が無ければ、決して後を追うものはいない。

それに対して多くの人々の尽力があり、そこには現場に居る者しか得られない、無上の喜びがある、と訴えているように思える。

 

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 印象的だったのは、とあるシーンで、ついに「制作」と「製作」同士がとあるシーンを取る為にお互いの立場の垣根を超えるのである

ある意味それはファンタジーである。「こうあってほしい」というものづくりの切なる願いだけが件のシーンを支えていて、実際にそれは登場人物たちの行動としてスクリーンに反映されることになる。

 

ときに、こうした形式の作品として筆者が思い返すのは、かの有名な『シベリア超特急』、通称『シベ超』である。

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いわゆる、シナリオ(劇作)上での大どんでん返しを誇張して表現した今作ではあるが、実のところ、監督である水野晴男氏による「軍服コスプレ」への異常な執着心と、

かのアルフレッド・ヒッチコックによるサスペンス作品にオマージュをささげた、純粋な映画愛に溢れた心温まる作品である。

 

今作『カメラを止めるな!』もまた、そうした「作品」そのものへの問いかけとなるような王道を往きつつも、極めてメタフィクション的な視点を取り入れ、

起点からスタートした物語が、起承転結の”承”を経た後、再び”起”へと至り、その間、常に”転”をはらみつつ、”結”へと向かう構成(『市民ケーン』や『パルプ・フィクション』といった「脚本上でのツイスト」を高く評価された作品に多く見られる傾向)を踏んでいることが分かる。

 

 

撮影は続ける!カメラは止めない!」と、そこにあるはずのないカメラに向かって言ってしまっている時点で、”そこにカメラがあること”を映画のキャラクターが認めてしまうことになるのだが、これは現場から製作に向けた意思表示でありながら、

一人の男が自らを戒め、ひとつの事を成し遂げようとする熱いドラマであり、

一人の父親が、娘との関係を築き直すドラマなのだ。

 

とはいえ、ひとりで映画など作れるわけもなく、様々な人々の創意工夫や尻拭い、

最終的にはマンパワーで怒涛の如く走り抜ける30分間には大いに笑い、大いに感動させてもらった。

 

いやはや、アッパレな映画である。