感想『デッドプール2』もうぼっちじゃない!”俺ちゃん”と愉快な仲間たち☆☆☆☆

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ノリに乗った感じのトレイラーが初公開されてから僅か数ヶ月、前夜際にて早めに観てきました『デッドプール2』

 

どうしようもなくネタバレ不可避な内容となっていたので、以下スポイラーアラート。

 

 

 

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前作から2年後。ミュータントとなった傭兵のウェイド・ウィルソン(デッドプール)は、麻薬カルテルマフィア構成員を成敗するヒーローとして活動しながら、ガールフレンドのヴァネッサと共に生活していた。そんなある日、14歳のミュータントの孤児であるラッセルを狙い、機械の腕を持つ戦士ケーブルが未来から現れる。ケーブルからラッセルを守ることを決めたウェイドは、親友のウィーゼルと共にリクルート活動を行い、ミュータントたちを集め最強鬼ヤバヒーローチーム「X-フォース」を結成し、彼との戦いに挑む。

 

 

一作目の『デッドプール』を観た率直な感想としては、正直2015年のベストとは言い切れない印象だったのですが、その後DVDを購入してから繰り返して観るうちに徐々に味わいが増していって、結果的に好きになった作品です。

 

製作総指揮をデッドプールライアン・レイノルズ、脚本で1作目から引き続き、レット・リースやポール・ワーニックが務めているため、全体的なおふざけ具合は圧倒的にUPしているものの、

前作で監督を務めたティム・ミラーに変わって監督は”『ジョン・ウィック』で犬を殺した男”とクレジットされてしまったデヴィット・リーチへと変更。

 

前作で多用されたVFXによるアクションシーン以上に、デヴィット・リーチがスタントマン上がりの監督という経歴の持ち主ゆえか、生身でのスタントシーンが若干多くなった印象があります。

 

 

 

2015年にスクリーンデビューした(後述)『デッドプール』は、意図せず受けた人体改造手術により、超人的な回復能力(ヒーリングファクター)を得る代わりに顔面が火傷のようにただれてしまい、そのショックで精神に異常をきたすばかりか、自分がコミックの登場人物であることに気づいてしまう、という異色過ぎる出自を持つキャラクター。

外見的なコンプレックスを持つため、すっぽりと顔を覆うフルマスクタイプのコスチュームは役者のエモーショナルな表情芝居をを隠してしまうため、普段のアメコミ実写化では真っ先に何かしらの手が入る部類のキャラなのですが、

当の演じる本人が「コミック通りじゃないと意味がない!」と制作会社に直訴。

自主制作に近い形でデモリールまで作ってしまう入れ込みよう。

 

(実際の初登場時となった『ウルヴァリン:X-MEN ZERO』でのデップーは原作のエッセンスの欠片も無かったため、ファンからの総ヒンシュクを買った)

 

ファンからの支持を得るため、開発途中だった映像を故意にネット上にリークさせ、2015年の実写化にこぎつけたという、超アクティブな生い立ちで制作された経緯があります。

 

本作のデッドプールは、前作で恋人のヴァネッサとの和解を経たせいか、やや柔らかくなった印象もありながら、冒頭からこれでもかと繰り出されるキレッキレの立ち回りや台詞回しから、「ヤベーやつ」なキャラクターをブレずに引き継いでいます。

 

その最中、最愛のヴァネッサを冒頭で仕留めそこなったマフィアの凶弾により失ってしまうデップー。

失意と絶望の中、ダイナマイトてんこ盛りの爆死による自殺を試みるところから物語は始まります。

 

本質的な部分でウェイドが悪人でない事を見抜いていたクローム製のガチムチ兄貴こと、コロッサスからスカウトされていたX-MENへ更正と心身療養を兼ねた体験入隊をすることになるデップーですが、初のミッションとなった少年ミュータント”ラッセル”の暴動鎮圧の場にて、ラッセルが施設で虐待を受けていたことを知り、激情してその場に居た施設職員を撃ち殺してしてしまい、仲良く刑務所に投獄。

 

不幸極まる出自も相まって、徐々に自らの中に眠る悪意に磨きをかけ、脱獄を持ちかけるラッセルに対し、「もう死なせてクレメンス」と哀願するウェイド。

 

そこに突如現れた未来戦士ケーブルは、ラッセルがこのまま成長するとやがて強力なパワーを身につけ、世界を破滅に導く存在になる、と示唆します。

 

「この映画はファミリー映画だよ!」と映画内でデップーが語る通り、

今作で描かれるのは、確かに「孤独な男が擬似的であれ、家族を築いていく」物語であるのです。

 

元々、ふざけ散らかした映画ではありますが、要素としてはデッドプールを中心としたX-MENをベースとしたコミックのストーリーに対して、

今作では『ターミネーター』や『ルーパー』といったタイムSF的な要素が混じりあい、

混沌とした様相を呈するあまり、ドラマツルギーとしての旨味を逃した感は否めず、感情移入度は低かったように感じましたが、それを制作側がどこまで意図していたか分かりません。

 

本質的なドラマでの組み立てが唐突という一言に尽きてしまいますが、

 

デップーの「家族」というものに対する思い入れがヴァネッサ以外で感じられない

●ケーブルの”家族を失ったこと”に対する絶望や怒り

 

この二点での描写の少なさゆえ、最終的な感動はとても薄いものに感じました。

最終的に「良かったねデップー」と思うことに変わりはないのですが、

純粋な映画としての収まりの悪さという点では、もうひとつシナリオ上での妙味が欲しかったところ。 

 

特にケーブルに関しては、回数制限のあるタイムスリップ装置をデップーを救うために使い、家族と別れ現代に残ることを選ぶわけですから、決断に足る理由が明確に描けていれば、もっと熱いドラマを感じられたのになぁと。

 

そもそも論になってはしまいますが、今作や前作におけるコロッサスのポジションというのは、本来であればケーブルが担うポジションなんですよね。

 

いわゆるおしどり夫婦というか、ハチャメチャながらどこか憎めない関白亭主のデップーに対して、どこまでも人格者で真面目さからくるの可笑しさや安定感のあるケーブルとの凸凹具合が、往年の「ノーテンキ×堅物」というバディものの黄金比を彷彿させる魅力であると思うので、

同じく「堅物で生真面目」というキャラ被りを裂けるため薄味になってしまったケーブルと、むしろ”ケーブル”らしい描き方をされていたコロッサスの二極化で、結果どっちつかずなキャラ造詣に落ち込んでしまった印象があります。

 

それでも、今作の可笑しさや魅力ははそうしたドラマツルギーのセオリーを超えたところにあると思う。

せっかく結成した鬼やばチームが5分足らずでバッタバッタと死んでいくシーンや、

豪華すぎる有名人キャストの無駄使い、満を持しての登場となった”これぞジャガーノート”な大立ち回り、「タイムスリップできるならやりたいことがごまんとあるんじゃぁ!」とばかりに過去のライアン・レイノルズ黒歴史を改変しまくるフリーダムすいるラストシーンなど、

 

 

あー、もうめちゃくちゃだよ。と言いたくなるようなシーンの数々に加え、

ケーブルの俺ジナルすぎる銃が遠隔操作で手元に戻るカッコよさ、今作の2大CGIキャラであるコロッサスとジャガーノートのガチンコプロレス、あとドミノが超クール。

 

気がつけば、「ここすき」ポイントにすっかりやられてしまっている自分がおりました。

 

 

思い返してみれば、『デッドプール』がアメコミファンならず、実写からのライトなファンからの多大な支持を受けた理由のひとつとして、

クソ無責任ヒーロー」というキャラ造詣にあったのではないだろうか。

 

全てに対して反抗的で、常に中指を立てながらもウィットに富んだ軽口を忘れない。

クールにまとまった赤と黒のデザイン、ヴァイオレントな性格に反してKAWAII(カワイイ)ものが大好きというキャラクター性もさることながら、

責任から解き放たれ、自由奔放に振舞いたいという抑圧願望の権化という点では、

クレージーの『ニッポン無責任男』における植木等に通じるものがある。

 

 

前述のとおり、デッドプールは人殺しはすれど、本質的には悪人ではない。

殺すか殺さないかの勘定は、そいつが”作品的に退場させるべきか否か”くらいのノリで行われる。

 

超人的な治癒能力を得て、”死”すら飛び越えた男の繰り出す”ノリの軽妙さ”こそが、

これまで何かにつけ世界の命運を掛けた戦いに身を投じ、眉間にしわを寄せ続け、”苦悩”や”葛藤”にもがき続けてきた、いや、そればかりに没してしまいすぎていた。

先達のヒーロー映画への最大のアンチテーゼであることに思えるのだ。

 

かつ、某ユニバースで不自然な高潔さを持ち戦い続けるヒーローたちに対して、高々と中指を立ててみせているようでもある。

 

前作で復讐の限りを尽くし、愛に目覚め、また失いながらも戦い続けた男のフィナーレとして、”相変わらずクソ無責任でいい加減”というのは、なんともこの映画らしい幕引きであったのではないか。

 

余談ではあるが、前作同様吹き替えで観る事で、より楽しめるような気がする。

 

根拠はツイッターで流れてきた恋人との会話比較。

 

字幕「さぁ、子作り開始よ」

吹替「赤ちゃん工場オープンなり~

 

 

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