本来なら、2020年の6月に全米公開が予定されていたものの、同年のコロナショックによる延期に次ぐ延期により約半年遅れての公開となってしまった今作『ワンダーウーマン1984』「劇場公開は控えて配信にするかしないか」みたいな押し問答を続けていた状況から一変。
1週間も早く日本公開が決まり、歓喜の感情の赴くまま、大作に飢えきった舌を振り乱して、早朝の2DIMAX版初回上映にすっ飛んで行きました。
2020年は映画界に限らず、全世界のエンタメ事情がひっくり返ったまさに厄災の年だった。
とりわけアメコミ界隈に限って言うと、『アベンジャーズ:エンドゲーム』後の次フェーズとして予定されていた『ブラックウィドウ』も事実上年内の公開は難しいとされ、いわゆる大作としては『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY』が3月に公開されたくらいで、ほぼお通夜の様相を呈していた。
そんな中でも、同年9月ごろに行われた『DCファンドーム』というDCコミックス関連のオンラインイベントがあったり、マーベルディズニー+による配信ドラマ系のほうでも待望されていた作品の情報が解禁され夜中に踊り狂った記憶も新しく、傍らではソーシャルディタンスによる度重なる撮影の延期やキャストのウイルス感染報道など、それはもうてんてこ舞いの状態。熱波と寒波が相互に襲い来る中、ただアメコミファンはその時を辛抱強く待ったのだった…
↓↓以下、ネタバレ全開レビューとなります↓↓
今作は、前作『ワンダーウーマン(2017)』で描かれた第一次世界大戦を背景とする1918年から66年後の、1984年が舞台になっている。
1980年のアメリカといえば、当時で言うところの”トレンディ”真っ盛りで、サブカルチャーや流行のスタイルの先駆けとなったまさにイケイケの時代。
傍らではドナルド・レーガンによる大幅減税や軍事支出を大幅に増やして、”タフなアメリカ”を目指してみたものの、蓋を開けてみれば借金、赤字まみれの泥沼の内政。
世界情勢では、ソ連をはじめとする社会主義国家と資本主義思想のアメリカとの対立、緊張状態が続いており、いつどちらが核を使うかという冷戦真っただ中。
前作でボーイフレンドことヒロインのスティーブ・トレバー君を失った悲しみを引きずったままのワンダーウーマンことダイアナ。
死んだカレピのことばかり考えつつも、人命救助のため悪漢と戦う日々を送っている。
さすがに60年近く経ってしまっているせいか、前作でスティーブの秘書を務めていたエッタも年老いた姿で登場。(写真のみだったが)
他にもスティーブ亡きあと、彼の名前を借りた牧場を経営していたことがほのめかされたり、今作に至るまでの空白の60年、ダイアナがどのように現代のアメリカに順応していったかを描きつつも、1人、夜の散歩に立ち寄ったレストランで「お待ち合わせですか?」とウェイターに聞かれ、「いいえ」とダイアナが答えると、向かいの席の食器を下げられてしまう描写が入ったり、とにかく序盤からダイアナの心にぽっかりと穴が空いていることをそれとなく描いていく。
今作はざっくり言えば”人の願いをなんでも叶える”お願いストーン”を巡る物語だ。
石自体の出自は定かでないものの、どうやら邪悪な神に纏わる曰く付きの品らしく、石が手に渡った文明はもれなく破滅するヤベーシロモノだぞと。これが元になり、ダイアナはスティーブとの再会を果たしたり、
ドチャクソイイ女代表であるダイアナにほれ込んだ”クラスのダサい女子”代ヒョウ(爆)こと、学者のバーバラ女史が「私もマブイ女になりてぇ!」の精神で真逆のビッチ化を促進させ、果ては文字通りの”女豹”になってしまったりする。
バーバラを演じたクリスティン・ウィグは『サタデーナイトライブ』からの常連で、喪女をやらせると本当にうまくて、なまじ顔は美人でスタイルもいいもんだから困る。
(リメイク版ゴーストバスターズでも同じような役どころだったので必見)
ダイアナと蘇ったスティーブ君一行は、この”お願いストーン”を巡りアメリカとエジプトを行ったり来たりすることになる。
今作のもう一人のヴィランとして登場する、マックスウェル・ロードが事の大きな発端となる人物。演じるは現在配信中の『マンダロリアン』で”パパになって欲しい俳優ナンバーワン”(自社調べ)路線をひた走る旬の俳優ペドロ・パスカル。
期せずして、どちらも”幼い息子を抱えた父親の育児の過程”を描くことになってしまったが、これもいわゆる育児=母親という所から離れ、”夫がイクメンとなって子育てに奮闘する話”としてみた場合、わりと現代のジェンダー的な部分に触れた話なのかもな、とも思う。
移民の出自をもつロードは野心だけは大きく、得意の舌先三寸で石油発掘ビジネスの投資は失敗続きだし、支援者へは詐欺まがいの話を持ちかけまくったせいで自社の経営は火の車。
自社といっても立派なのは入り口までで、オフィスは工事も終わってないし社員は懐かしのクソデカ肩幅ジャケッツを羽織ったあからさまにエロい受付嬢二人だけのあり様。(ぜってー既にヤってると私はにらんでる)
「俺自身を石にしろ!」とかいう意味不明の願いを言うと、ロード自体が石と同様の能力を得てしまい、いよいよ大変なことに。
要するに『アラジン』におけるジャファーのポジションですね。
とはいえ、彼にとって息子は本当に宝物なので、ギリギリのところで人間性は捨てきれない…という心の推移が見所でもあります。
基本的に『ワンダーウーマン』という作品はかの『ローマの休日』を型とした”世間知らずのお姫様が恋に落ち、世俗を知り、最終的に自らの使命に向き合う物語”という大枠があって、そこに”男にリードされるばかりが女性じゃないわよ”っていう現代的なウーマンリブの感覚がスパイスとして効いた作品ではあったものの、
原作でナチスという明確な仮想敵を出すのを避け、わざわざ舞台を第一次世界大戦に変更したくらいの気概があったにも関わらず、
取ってつけたような敵役として登場した前作のヴィラン、軍神”アレス”のチープすぎる悪役としての造形、「お前を滅ぼしてやるぅ~~~!!」というセリフに正直ゲンナリした記憶があるのですが、今作におけるいわゆる”悪役”は誰だったのか、というと疑問で、むしろはっきりとしたに”分かりやすい悪役が居ない”というところに好感が持てたなと。アメコミ的にはバーバラことチーターがメインヴィランではあるのですが、
あくまでもそれはアメコミ映画のていを成すための課題で、本題としてはダイアナが前作のラストの口上として述べた、
「かつて私は世界を救おうとした。そしてどんな人間にも光と影が同居していると知った。人々の中で善と悪の戦いは続いている。でも愛があれば、その戦いに勝てる。だからわたしは戦い続ける」という発言や、
今作の冒頭で母や隊長がダイアナに述べた「真実を見ないのは負けも同じ」「あなたにはまだ勝利する準備ができていない」という言葉通り、
目先の欲望ばかりに囚われず、現状を見据えてより良くしようじゃないかという教義的なメッセージにも捉えられますが、実際のところ、”猿の手”の性質と同じで、望んだ分と同等の犠牲や痛みを伴うぞという残酷な現実そのものなんですよね。
なので、エンタメ要素マシマシで画面も派手派手な『JL』と比べると、アクションは控えめに感じたけれど、逆にダイアナの超人さが際立つギリギリの塩梅だったかなと。
試写で鑑賞した方からの「WW1984は教育番組」という感想も頷けはするのですよ。
今作はダイアナと復活したスティーブとのひと時のロマンスも魅力で、
前作で見知らぬ土地と文化に触れたダイアナをリードする側だったにも関わらず、戦闘スキルの差で完全にファンからはメス認定されてしまったスティーブ君。
今作では、死後60年後の世界に転生(いちおう体の宿主はいる設定)してしまったため、知識量も経験もダイアナのほうが圧倒的に上。
だから、基本的に今作のスティーブ君は完全に受け(体位でいうと下側)なんですが、
劇中では「外出するより、1日中ベッドにいよう」的な発言しやがって、
こちらは「ハァ!?乗られる側が何言ってんの!」ですよ。
エロいが!?誰だよ教育的とか言った奴!!!
ダイアナもクーデレの属性の上にデレを二乗で重ねて出した定食みたいなボリューム感になっていて、アイマスでいう所の終始グッドコミュニケーション状態ですね。
ウジウジ悩んだりもしないので、安心して二人の恋時の行方を追えます。
現代のファッションセンスもよく分からないんで、ダイアナ目線でに色々と試着させられていくわけですが、なんだ?プラダを着た悪魔か?
作中には要所で”イイ女にイイ男、いいシチュエーション”の三拍子が揃った胸キュンポイントがあるのですが、露骨にいいシーンもありつつ、撮り方はすごくアッサリしながらも、ダイアナのもう引き返せない悲しみと、戦士としての昂ぶりが伝わる名シーンがあるので、そちらはぜひ劇場で観て欲しいなぁと。
ツイッターでも書きましたが、今作のコスチュームの目玉となったゴールドセイント
、ダイアナが壁に横たわると圧に負けちゃって変形しちゃってるのも、すごく往年の材質不明なスーツという特性をオマージュしてて良かったですね。(知らんけど)
ワンダーウーマン1984のゴールドセイント、見た目からしてかなりの硬度を有してそうなのに、壁に寄りかかったりするとウレタンボードのように「ぐにゃあ」って変形しちゃうところは古き良き特撮へのリスペクトを感じた。
— ボディがガラ空き (@Shin_Tayo) 2020年12月18日
寄りの画用にFRPにしとけとあれほど… pic.twitter.com/NE33Ei1imi
ペドロ演じるマックスウェルと息子のアリステくんとの親子の交流も見もので、
詳細は控えますが、とにかくエゴの塊であるパッパと、パッパ大好きなむちゅこのすれ違い具合がも~~もどかしい。
パッパは生い立ちの不遇さも相まって自分が偉大でないと、誰かに受け入れて貰えないという偏った思考に憑りつかれてしまっているんですが、対するむちゅこのアリステ君は、「勝ち組じゃなくてもいから、ただパッパに一緒にいて欲しいよ…」ムーヴを無言で出しまくってくるわけですよ。
だから、正直「マックスウェルはどこかで和解するんやろなぁ」と頭ではわかっていても、二人が同じフレームにいる瞬間は大抵、悲しくて悲しくて…
「何か一つ願い事を言ってみろ」とのたまうお願いマイダディー化してしまったマックスウェルを前にしてなお、
「パッパが偉大になりたいって言ったから、そう願ったよ…」って……
あぁ~~~~~もぉ~~~~;;
てぇてぇなぁ~~~!!一生幸せに親子やってけよぉぉぉぉぉ!!!