映画『レディ・プレイヤー・ワン』はオタクの聖典…なのか?
つい『アバター 伝説の少年アン』を観た熱のせいで記事を書くのを後回しにしてしまっていた
『レディ・プレイヤー・ワン』
一応、ちゃんと初日に新宿TOHOシネマのレイトショー、字幕3Dで観ていました。
※以下ネタバレありの感想と、原作の『ゲーム・ウォーズ』を読んでなお、
「なんとなく前のめりになれなかった」正直な感想です。
「いいニュースと、悪いニュースがある」
という、洋画あるあるなセリフっぽく要所をかいつまんでいきます。
「まずは悪いニュースから聞こう」
①そんな嬉しいか?問題
観るポップ・カルチャーの祭典のような映画、と各所で謳われており、
映画版ではオミットされた某有名宇宙人や機械のアイツ、細かすぎて伝わらないレベルのキャラの有無はあるのですが、
正直、キャラクターのカメオ出演レベルで、「そこにそのキャラがいる」必然というのが見当たらない。
僕がいわゆるオタク気質の監督が作った映画で苦手なジャンルとしては、
「好きなもので塗り固めたは良いものの、そこで思考停止してしまっている」
という類のもので、
「自分が好きなもののエッセンスを焙煎して抽出した作り」
で作品を作り出していくギレルモ・デル・トロのようなオタクと比較すると、
くらいの差が出てしまって、
ある種の同人感みたいなものが感じられてしまって嫌なんですよね。
「どう吸収して、放出するか」で勝負してほしいです。
そのキャラクターが映って嬉しいなら、そもそもの出典先を観てる方が僕は楽しいですし。
あくまでも味付けレベルの問題にいちいち難癖をつけるのは野暮というものですが、
どうせ本家ゴジラを出すなら生頼範義版メカゴジラみたいなのじゃなくて、
ちゃんと三式機龍を出してくれるオタク気が欲しかったなぁと。
伊福部ゴジラのテーマをわざわざ使うんだから、それくらい頑張ってよ!
というか、中盤の『シャイニング』世界に行く流れとか、明らかにスピルバーグ自身が思い入れがあるシーンとの画面上の熱量の差が出てしまっているように見えて残念。
宣伝効果の一環としては良いと思うし、スピが撮るからこれだけのキャラ出演に「ゴーサイン」が出たので、
「結局、スピにしか撮れないからすげぇ」
とは思うのですが、イコールで「すげぇ映画」には思えなかったですね。
②2時間弱という尺に収めるために、”エンターテインメント”を盾にした雑な作りが目立つ。
●冒頭のレースシーンからして、「コースを逆走する」なんていう安直な攻略法を、世界規模で開催しているゲームイベントで「誰もやったことが無い」という違和感。
一般ユーザーがゲーム世界で死ぬと「全てを失うから」という理由があったにせよ、
だったらIOI社の社員の誰かやってても良くないですか?
●原作では容姿のコンプレックスを抱える肥満の主人公が、映画ではある程度マイルドな役者に落とし込まれる、大作ならではの呪縛。
このあたりは近年の「ホワイトウォッシュ」問題と合わせて、圧倒的な分母たる世界規模の観客に合わせた調整という部分なので強く言えませんが、
「ヒロインの顔の火傷をただ受け入れる側でしかない主人公」よりも、
「僕もコンプレックスは抱えているけど、それでも君が好きで一緒に居たい」
というエモーショナルな展開のほうが納得できるし、オタク映画としては正しい気がするんですけど。スピさん、非モテの心分かって無さ杉ィ!
なので、エンディングの「恋人と過ごすために休日作るわー」というオチが、
「脱童貞して今後セッ●スしまくりたいから」という絵に見えてしまって嫌でした。
③もし自分が”オアシス”の中に入れたら?というワクワク感が無い。
これが決定的でした。ただスクリーンからの情報を得るばかりで、アバターのデザイン含め、”オアシス”に行きたいという感情が、これっぽっちも沸かなかったんですよね。
ゲームデザインとしての、具体的な描写が圧倒的に不足してるのが原因だと思うんですけど。
「俺はプルガサリで行く!」
と本気で叫ぶほど、ソノ気にはなれなかったですね。
個人的に気になるなぁという部分は以上で、まぁ展開の強引さとか、反乱軍の計画性の無さとか、敵対するlol社のガバガバセキュリティとか、
色々突っ込み始めるときりが無いので、
「では、いいニュースを聞こう」
「嘘だ。いいニュースはない」
嘘です。
- 冒頭のレースシーン
音楽なしでいくつもの騒音とSEが重なりあっていく音フェチにはたまらない音響作り。
帰りにデロリアンのプラモ買っちゃいましたよ。好きでもないのに。
- キャラクターの目元のライティングで見せる”緊張感”
近作で最も良かった部分を挙げると、僕はスピルバーグの映画職人としての技術面になってしまうのですが、
劇中のレース前のシーンや、パーシバルとアルテミスのウェットなムードが漂うシーンで主に使用された”目元のみにスポットでライトを当てる”効果が好きなんですよね。
VRのゲーム世界なので、フルCGが余儀なくされてしまう今作。
3Dの技術が格段に上がった現代とはいえ、どこまでもリアルを追求するCG表現では、
不気味の谷は避けがたく、現実の生身の肉体を有する役者と比較してしまうと、
どうしても感情移入し辛い状況が自然と出来てしまう気がします。
今作で上手いなぁと思ってしまうのはモデルの芝居に頼らず、上記のライティングのみである状況下に置かれた人物の感情や思考の機微を感じさせてしまう部分。
古くは白黒映画から多用されている表現ではあり、怖いので画像は載せませんが、
『エクソシスト』のリーガンのアップショットやバートン版『バットマン』など、
目元を強調することで人物の内面がより強調され、光が眼球の照り返しとなって現れるため、”強い意志”を感じさせるゾクゾクする切れ味ショット。
若干ヌメッとしたCGモデルの皮膚の質感を逆手に取った、艶のある表現。
流石としか言いようがないです。
- 予告編からしてヴァン・へイレン「JUMP」とAHA「Take On Me」を使ってくるニクさ
冒頭のタイトルからして「JUMP」は流れていましたが、事前の予告編からこの二曲を使ってきたのは80'sベースの今作では凄く納得がいくし、
なによりどちらもキャッチーな80年代を代表する2曲なので、
楽曲で大分救われているなというのが本音です。
アラン・シルベストリによるサウンドトラックも嫌いではありませんでしたが、
楽団構成によるオーケストラよりも、既存の懐メロオンパレードのほうが、
煌びやかでごった煮の今作の雰囲気に合っているような気がしたんですが。
あ、ダンスホールで『ステイン・アライブ』が流れたシーンは最高でしたよ。
- 徹底的にエンタメに絞り込んだゆえの観やすさ
あまりオタク向けに作りこみすぎてしまうのも考えもので、
「ハローキティも出てるよ!」というレベルで劇場に足を運んでしまう観客がいるのも、ビッグバジェット映画ではよくあること。
そうした意味では今作は大いに肩入れするほど深みや、業の深さを感じる作品ではありませんでしたが、
オタク知識なしでも十分に楽しく鑑賞できるエンタメ
にまで落とし込めていたように感じます。
物語ラストにて、諸悪の根源であるlol社のソレントが部下と一緒にパトカーに押し込められるシーンなど顕著で、
人殺しまで行った男の末路が、まさか
パトカーでしぶしぶ連行され、ふてくされた表情で終わる
とは思いませんでしたよ。
アニメのオチかと思いました。
分かった上でやっているのかもしれませんが、今作の纏うムードは、
ノーテンキのそれで、あくまでも重くなく、ライトな作りになっているんですね。
登場人物はいちいち軽率なのもそれらに起因しているんですが、
僕には「楽しい作品だから、深く考えずに見てよ」というスピの意思のようにも感じました。
- 「アイライク バカルー・バンザイ」というパワーワード
「天才物理学者で脳神経外科医でありながら人気バンドのボーカルでもある」という、狂った設定を背負ったピーター・ウェラーのシラけた芝居が必見。
以外とこうした作品はDVDで何度でも見返せる環境になったとたんに、
評価が180%裏返る可能性があるので、
今は『レディ・プレイヤー・ワン』が凡作だったのか、名作だったのか、
判断を保留にしておきたい気持ちが強いですが、
正直、
もっと盛り上がりたかったですよ。ええ。