『シン・エヴァンゲリオン劇場版』鑑賞後メモ~感情垂れ流し~(ネタバレ注意)

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『シン・エヴァンゲリオン劇場版』観た…
 
以下、ネタバレ注意です。
 

 


旧劇場版『 Air/まごころを、君に』が公開された1997年から苦節24年後のシリーズ完結。

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当時、かつての松竹セントラル劇場(今は松竹本社になっている)に両親に手を引かれながら行ったのを覚えてる。

1000席規模の大きな劇場だったが客席は超を超える満員で、劇場の外にまで人があふれていた。僕の知りうる”満員御礼”を絵に描いたような光景だった。

『GHOST IN THE SHELL』を我が子に見せるようなハイカラ両親だったので
 
「理解が及ばなくても良い」と思っていたのかもしれない。
 
期待通り、内容は当時の僕にはさっぱりだったが「何か凄いものを見た気がする」という複雑な気持ちだけは鬱屈した青春時代から現在に至るまで引き継がれることになる。

劇中のシンジ君やアスカたちの年齢に差し掛かったところで、ようやく劇中の少年少女が抱えていた複雑な意識の肥大やセクシャルな問題に目を向けざるを得なくなり、
 
更に年齢を重ねて周囲を取り巻く大人や”大人未満のオトナたち”が抱えるナイーブな問題を真剣に見つめざるを得なくなってしまった。
 
『エヴァ』が自分とは無関係な、アンリアルな絵空事ではなくなってしまったのだ。

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僕の世代はエヴァブームからは一歩遅れた世代だが、
 
そういう意味では等身大ドキュメンタリーを見させられているようなヒリついた空気感を『新世紀エヴァンゲリオン』という作品から感じ取っていたように思う。

カオス表現の極地のような出来栄えだった旧劇場版と比べて『序』~『破』はTV版の要素を踏まえつつかなり”分かりやすい”かつエンタメ寄りの仕上がりだったが『Q』で再び難解な用語を意図的に配列して観客をカオスの中に放り投げてきた。
 
今作では相変わらず、難解なワードや概念が飛び交っているのだが、キャラクターの目的意識がはっきりと暗示されたりセリフとして明言してくれたりする分、余計な目くらましに囚われることなく、すっと感情やバックストーリーを受け入れることができた。

・結局、シンジ君の下した答えと言うのは旧劇場版やTV版最終2話とそう変わらないものだと感じた。

「傷ついてでも、だれかと(世界と)関わることを選ぶ」ことで、
世界の中に自分の存在意義を見出す、壮大な自分探しの物語だ。

・はい、きました。「NEON GENESIS」というタイトル回収。オタクの好きなやつ。

・『シン・ゴジラ』の公開後とはいえ、前作『Q』との間にあった震災や原発事故などの大きな出来事を踏まえ、

”生活をかなぐり捨てること”を強いられてしまった人々の生活を描くシーンは『エヴァ』というSF作品と僕らが生きる現実世界を繋ぐ接続点。
 
ドラマとして活性剤になるような大きな出来事はないが、人々の穏やかな、地続きの生活と時間それ自体がシンジ君の心を徐々にほぐしていく描写には妙な説得力があったし、旧劇場版と比べて抵抗する素振りをみせるシンジ君の反応の中に、痛々しさよりもまだ傷つくことができる心が残っていることがなにより嬉しかった。

暴力による解決を良しとしない『エヴァ』という作品で、24年果たされなかった父親との対話を物語のフィナーレに持ってきたのは、意外性こそないもののゲンドウが”補完計画”にこだわるのは何故か、の裏付けとしてはなんだか納得してしまったし、ラストの羽交い絞めからの初号機+13号機のくし刺しのシーンと咆哮には、夫婦の和姦を見せられているような気持ちになった。

振り返ることでしか人生を許容できなかった父親(ゲンドウ)
 
孤独を他人からの評価で埋める事でしか自我を保てなかったアスカ
 
エゴ以上に他人の人生を優先してしまうカヲル
 
鑑写しともいえる空っぽで確たる存在である綾波

シンジを”碇シンジ”たらしめる登場人物たちを一人ずつ救済していく描写には、やや幕引きへの強引さを感じつつも、本家本元たる『エヴァ』で見れると思っていなかった光景だったので、庵野秀明の生真面目さに対してのありがとうという気持ちが勝ってしまった。
 
そうだよ。どんな形であれ、皆には幸せになって欲しかったんだ。

・ラストシーンは賛否両論あるけれど、等身大のシンジ君の声としては、既存の庵野(GAINAX)組からのキャスティングや劇中キャラの声優を再度当て込まれるよりも新鮮な気持ちがして良かった。低予算ホラー映画みたいなものか(違う)

セルとしての色を失い、中割もなく、LOの作画修正にまでなってアニメ的な”記号”としての自我を失ってしまうシンジだったが、マリとの再会に再び色を取り戻す。なぜマリだったのか?マリ×シンのカプは未だに疑問が残るところだが、
 
レイやアスカとの関係性は既にTV版と旧劇場版の時点で終わっていた、と考えるべきなのかもしれない。(アスカの弁当についてのセリフから)

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・「庵野は真面目だねぇ」という宮崎駿との対談で出た宮崎駿からの庵野秀明という人物に対しての評価が、鑑賞中ずっと脳内でリフレインしていた。
 
分からないものは「分からない」と言い切り、大人の嘘に対して「嘘だ!」と心のナイフを突きつけていた庵野秀明少年が、成長し結婚を経て組織の長となり、自らのキャリアと人生の過程で作り出したキャラクターたちと真摯に向き合い、それぞれに穏やかな結末を与えていく姿を感じ取れて、それだけで涙が止まらなかった。

貞本義行によるマンガ版で描かれた「ようやく冬が訪れた新たな世界」というアナザーな結末も踏まえて、とにかくエヴァという物語に明確なピリオドがついたことを嬉しく思う。
 
今後いかなる続編が出ようと蛇足に感じるかもしれないが、
 
あの臆病で卑怯だったシンジ君がようやく自らの意志で立ち上がり、他人の死を”想いとして受け入れられる”まで成長したのだから、
 
僕らも前に進まなければ。ただ実直にそう感じた。