世にも奇妙な物語 『戦争はなかった』

f:id:shin_tayo:20200509042329p:plain

 

真珠湾攻撃に端を発する、太平洋戦争がなかったことになってしまっている日本に、

ただ一人、戦争の記憶を持った男が差迷い込んでしまうお話。

 

 

www.youtube.com

 

発端は会社の若い世代との戦争経験の有無によるジェネレーションギャップを憂う、些細なきっかけだったのだが、次第に同年代の友人とも歴史についての話がかみ合わなくなり、

不信感を持って、世界史の教科書を読み、図書館で当時の新聞を読み漁るも、そこでは”太平洋戦争などなかった”とされていることに衝撃を受ける。

 

周囲からは「気が触れてしまった」のではないかと心配されるが、

敗戦国が40年足らずでNYのビルを買い取れるまで経済復興するなど、できるわけがないだろう」「戦争があろうとなかろうと、私たちの生活に変わりはないじゃない」と友人や妻にたしなめられ、次第に「本当に戦争はなかったのかもしれない」と自らに言い聞かせるようになる。

 

安穏とした生活を取り戻し、ふと街中の街中を歩いていたところ、街頭の液晶モニターに「大火災によって燃え落ちたとされる広島のドーム」が映し出される。

 

こんなバカな話があるか、やはり戦争はあったんだ。広島のドームは原爆でやられたんだ。なぜ皆忘れてしまったんだ!

 

通行人を捕まえて問い詰めるが、やがて駆けつけた警察官によって主人公は取り押さえられてしまう。

 

物語は非常にシンプルかつ、やや説教臭さも残るが、「なぜ戦争があったことを忘れてはいけないのか」と主人公が思うのかという動機の描き方や、

自分一人だけが真実を知っているかもしれないが、周囲からは全く理解されず、真相もわからないまま七転八倒するオブセッション劇としては、かなりグイグイ引き込まれてしまった。

 

定番のように、タモリが物語をこう締めくくる。

 

彼が迷い込んでしまったのは、我々と違う道を歩んだ日本だったのか。それとも、人々が過去の記憶を失ってしまった日本だったのか、それは私にもわかりません

 

しかし、もともと歴史というのは活字と映像の中にしか残らない実に頼りないものです。奇妙な力によってそれが歪められた時、あなたの身にも、いつその恐怖が降りかからないとも限りません

 

2020年は戦後から75年。

戦争経験者も徐々に少なくなり、その記憶もやがて紙面上やPCの画面上だけのものになるでしょう。

 

記憶を風化させるべきではないと思いますが、戦争を口頭伝承で伝えなければならないというのは、ある意味悲劇でしょう。

 

平和が何よりですが、平和ボケはいけません。

徐々に戦争は物理的な戦争から経済戦争へとシフトしつつありますが、いざ開戦してしまえば、主戦場になるのは人の住処です。

 

このご時世、まさか核など使用すまい」とは思いながらも、某国ではほぼ日常業務のようにミサイルの発射実験を繰り返していますし、暴力の火種は尽きることがない。

 

戦争映画は大好きですが、それは”戦争”が”非日常”の装置として機能しているからです。

”戦争”が”日常”になる、そんな日が永久に来ないことを切に願います。

 

LOVE&ピースだバカヤロー。