感想『ドドンパ酔虎伝(1961)』昭和ならではの過剰なサービス精神。色あせない珠玉の名作。

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昨日の『九ちゃん刀を抜いて』と同じく、神保町で開催中の【迎春特番  踊る時代劇】特集にて鑑賞。1961年、大映京都、川内康範脚本、田中徳三監督作品。

 

 

今回は講談や落語好きの友人と連れ立っての鑑賞であった。

原作は友人曰く、『高田馬場の決闘』に基づく、講談がベースではないか、とのこと。

 

江戸の街では「ドドンパ音頭」なる唄が大流行。
数百人の男女が町中で踊りまくっていた。
それを見ていた村上権十郎(山路義男)なる侍は、その異常人気を見て一計を思い付く。
ほどなく、お玉ケ池近辺に、呑海なる教主を仰ぎ、唐渡りの金の仏像を御本尊とする「ドドンパ教」なる妖し気な宗教が広まり出す。また一方で、江戸の街には「台風組」なる怪盗団が出没していた。
実は、ドドンパなる唄を作ったのは、貧乏長家住まいの中山安兵衛(勝新太郎)と大高源吾(小林勝彦)の二人だったのだが、その曲がドドンパ教にパクられていると聞かされても二人は頓着しなかった。幼い弟と二人暮しだった長家の娘、おきみ(白鳥みづえ)が、借金のかたとして、金貸の万吉(中村是好)に連れて行かれようとしていたので、呑んベえの安こと、安兵衛は、友人の赤垣源造(水原弘)とお勝(楠トシエ)の経営する飲み屋開催の「酒のみコンクール」に参加し、あっさり賞金を貰い受けるが、夜、長家への帰宅途中、台風組退治のため見回り中だった堀部弥兵衛(益田キートン)と小競り合いをした際、財布を落としてしまう。
しかし、その事が縁となり、長家に訪ねてきた弥兵衛とその娘も、大高源吾同様、赤穂の同士であった事が翌日判明。
そんな安兵衛を訪ねて、ある日、国元の日の丸藩から上京してきた伯父の話によると、宝物係として保管を任されていた大切な唐渡りの金の仏像を、村上権十郎なる男に盗まれたという。
安兵衛はドドンパ教を怪しみ出すが、呑海に丸め込まれた岡っ引きの有り難やの三次(由利徹)と申し訳ないの仙太(南利明)によって、逆に台風組の一味として逮捕されそうになる。

 

田中徳三の作品は『座頭市』シリーズくらいしか親しみがなかったのだが、

昭和の映画に良くあるカットの助長感はなく、かなりテンポよくカットを割り、レンズもワイドとロングの攻守に長け、コマ取り演出のコミカルな描写も相まってか、全く退屈せずに鑑賞できてしまった。

 

当時のドドンパブームにあやかって製作された、所謂季節物”の映画ではあるが、全体的な陽気さと、元禄の時代設定にも関わらず、容赦なく「ドドンパ」や「コンクール」、「リズム」「ドン(首領)」とった横文字や「著作権侵害」といったメタなネタが飛び交う時空のゆがみ加減も面白い。

 

主演は勝新太郎。勝が画面に登場するとシーンが一気に明るくなり、一所作一挙動が気になってスクリーンから目が離せなくなってしまう。さすがはスターといったところ。

まだ若さの残るいでたちで、中年の深みのある勝もいいが、若かりしあどけなさの残る勝も可愛げも良いなと思う。

田中徳三とは『座頭市』でのタッグもあってか、勝をどう撮れば面白いか、という

コンビネーションの良さが出ていた。

 

脇を固める俳優陣も、「一目見れば明らか」なくらい、悪人は悪人面、善人は善人、といった面持ちなので、先の読める楽しさがある。

 

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(僕の好きな伊達三郎もお決まりの悪人面で画面を引き立てる。)

 

語る事は多くない作品ではあるが、「あのシーンは良かった」というふうに、盛り上がるにはうってつけな映画である。

惜しむらくは、これだけの傑作でありながら、今だにソフト化もされずに上映のみになってしまっていることだろう。いつか評判が広まって、ソフト化されることを切に願う。